不登校・引きこもりからの大学進学塾

不登校から始まるエリート層教育の多元化

日本の現行の教育課程は6・3・3・4制、つまり、小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年となっています。ただ、CARPE・FIDEMでの教育現場で見る限り、中学と高校の6年間は、3年程度もあれば十分に終了可能で、主要科目に絞れば、賢い子なら2年でも何とかなるでしょう。

つまり、基礎学力に限定すれば、「中学3年生段階での大学受験は普通に考えて可能」ということです。

実際に入試問題を見てみると分かりますが、日東駒専と呼ばれる大学レベルの場合、実質的な要求学力は、高校受験での有名進学校と同じ程度かそれ以下で、統一的基準で測れる英語で見ても、高校受験の方が難しいことも珍しくありません。受験こそ出来ませんが、中高一貫校の優秀な中学3年生は、15歳でMARCHレベルの大学は普通に合格しますので、飛び級制度がないために表面化しないだけで、学力上の「実質的飛び級」はずっと昔から発生していると言えます。

因みに、これは不登校の教育現場でも同じで、CARPE・FIDEM内部でも、大学進学年齢に達する前に医学部合格レベルまで進んでしまう子は、特に珍しい話でもありません。開成や灘、筑駒・麻布のような一流校の少なからぬ数の学生さんが、16歳ちょっとで東大A判定になるのと同じことです。

 

昔から感じていることですが、日本の教育システムは、中~下層をアレコレ変える必要はないと思います。

「日本の教育は、知識詰め込みで云々……」

とか何とか言われていますが、基本的に最低限の知識が無いと、そもそも教育が始まりません。そのため、詰め込みの足らない下層ほど、詰め込み重視にした方が利幅があります。「頭空っぽの方が、夢詰め込める」のは、ドラゴンボールの世界か、或いは頭の良い人達だけの話です。

一方、上位層は放っておいても、勝手に知識を取り込みますし、自発的に勉強もしますから、大切なのは「自由度」と「裁量権」ということになります。この点、現行の上位層向け受験システムはイマイチかも知れません。

個人的にお薦めしているのは、試験システム自体は変えず、受験年齢を自由にすることです。賢い子は、12歳で東大を受験可能にするなど、入試の年齢的制限を止めるのです。また、日本は飛び級を嫌いそうですので、一度合格したら、18歳以降何歳で入学しても良いことにして、合格結果を継続利用可能にする。例えば、15歳で京大に合格し、18歳までは高校も含め自由に活動し、18歳で入学する、等です。

たったこれだけでも、かなりの変化が出てくると思います。海外の大学を狙いたい場合は、先に東大や早慶を滑り止めで合格しておけば楽ですし、15歳位で先に大学を押さえておいて、適当に高校へ通いながら、18歳まで起業活動をする人も出てくるでしょう。

「今の大学システムは遅れてそうだから、システムが変わってから入ることにして、20代のうちは世界中回ってくるわ」

という人も出てくるでしょうし、

「子供には自分の事業を継がせたいので、事業継承も兼ねて、10代のうちから現場を見せておきたい」

なんて、帝王学的発想を持った親御さんの要望も出てくるかも知れません。大学合格から、大学進学までの数年間を自由に使って良い、という時間的裁量権は、未来のエリート層に大きな影響を与えると思います。

可能なら、彼等の活動に対し、国から積極的な資金援助をしても良いと思いますね。例えば、18歳になる前に国立大に受かった場合には、自由活動費用として、18歳まで年間100万円までの必要経費を認める、なんて良いと思います。優秀な層には、それ位の遊びがあった方が、先が明るくなります。

日本の教育システムは、リーダー格のエリート層教育が下手だと言われていますが、それは自由度と、学生側の裁量権の無さが原因です。そう言う意味では、例えば早慶の附属校のようなシステムはバカに出来ません。今の社会では、大学受験のスコア競争に勝った人よりも、そこそこの賢さを携えた上で、幅広く世界を見た人の方にこそ需要があったりしますが、大学附属校システムは、ある意味それを可能にしていると言えます。

今になって、

名門高校⇒一流大学進学⇒大学中退⇒引きこもり

なんてシャレにならない群が一定数いることからも、単なるスコア獲得競争には価値がなくなってきています。スコアさえ取れない底辺層は昔から大体が低評価ですが、スコアしか取れない人間もまた、今になって社会的価値を認められなくなってきているのでしょう。

不登校の教育現場では、教育がかなり自由に出来るため、結果的に、私も運営しながら上記のような可能性について考えるようになりました。叩きたがる人もいますが、何のかんの言って、既存の教育システムはシステムで結構優秀だと思っていますし、学校制度の枠組みを変える必要もないと思います。しかし、そこに大学受験の時間的裁量権を加えるだけで、日本全体のエリート教育は、一挙に加速するような気がしています。

枠から外れた子達のエリート教育が、枠内のエリート教育に繋がると、これからの日本ももっと面白くなると思いますね。

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