不登校・引きこもりからの大学進学塾

親御さんの姿勢が変わってきた気がします。

 CARPEFIDEMの参加希望者には元々そのような傾向があるにはあったのですが、特にここ最近、親御さんの姿勢が良い意味で「傾聴重視」から「自立重視」へ向かっているような気がします。

 一昔前までは、

「不登校の子や引きこもりの子は心が繊細だから、親が守ってあげないといけないよ。丁寧に寄り添って、傾聴してあげることが大切なんだよ」

のような意見ばかりで、何というかもう家庭によってはベタベタネチャネチャな親子関係になってしまって、30歳過ぎた中年男性でも「ママと一緒」「一緒じゃなきゃ暴力」みたいな気持ちの悪い関係が発生していたものですが、流石にそれは不気味と感じた家庭が多かったのでしょう。最近は、「子供が自立出来るようになるにはどうしたら良いか?」という方法論へスライドしているような気がします。

 先日の面談でも、

「親の責務は子の自立。どんな子供が生まれるかは分からないけど、責務は皆一緒」

と話されていたお母さんがいらっしゃいましたが、本当にその通りだと思います。

 寄り添いや傾聴の意味は私も良く理解していますが、具体的方法論を無視した一部の心理系支援を中心に、不登校や引きこもり対策として、ネチャ付いた親子関係に誘うパターンがまだまだ残っています。一頃はそんなブームもありましたが、これではスパルタ&暴力重視の対策と何も変わりません。暴力を否定して発足した人々が、表面的に同調するだけで、「自立抑制」という「見えない暴力」を振るう様は、ミイラ取りがミイラになるの典型のような気がします。

 具体策の無い寄り添いや傾聴は、ただの精神的依存しか生み出しませんし、その結果が自立の出来ない惨めな人格に繋がることは、既に自明なものとなっています。

「『学校へ行かなくても良い』なんて主張する人達は無責任だ。だって、その後の私のことは何も考えてないんでしょ? とりあえず、目先の厄介毎から目を背けようとしているだけじゃないの?」

 不登校の子達からこんな意見が聞こえ始めている今、表面的な優しさは、ただの欺瞞に過ぎないことを、大人の側が正しく理解すべきなのでしょう。

 人口減少が確定的な日本において、「助け合い」には大きな価値がありますが、「依存」はただの害悪でしかありません。依存を否定的に捉える家庭が増えれば、社会全体も気持ち良い場所になるでしょう。ここ最近の変化を、私は大変好意的に見ています。

 

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