不登校・引きこもりからの大学進学塾

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ライフイベントを淡々とこなすことの重要性

30歳になったとき、この次の10年間をどのように生きようか、かなり真剣に悩んだ記憶があります。20代もかなり一生懸命生きてきたつもりでしたが、振り返って見れば、無駄も浪費も沢山あったことを痛感し、せめて同じミスはしないよう、最低限これまで以上のことをしようと決意したものでした。

そして今35歳。期間も折り返し地点を過ぎ、振り返ってみれば、出来たことは結婚と家の購入位です。確かに、一般にはどちらも大きな決断だったかも知れませんが、本当に5年(厳密には3年)も必要なことだったのかと、しばし黙考します。どちらも順調ではありますが、周囲を見てみれば、それはそれで当然のような気もします。

引きこもり業界にいると、人間の成長には差があるのだと痛感します。家にこもり続けると、全ての成長が停止し、子供のような大人が出来上がります。私よりも年上にもかかわらず、ギャアギャアと下品に喚き散らし、周囲を罵倒し、嘘をつき、見苦しい生き方しか出来ない者もいれば、私の半分程度しか生きていないにもかかわらず、周囲への配慮を忘れず、自分の成長を望み意見を求め、日々何かの飢餓感を感じながら成長している者もいます。

彼等の何が違うのか? 恐らく「経験」が違うのでしょう。

ダメな人とは、年齢年齢でこなさないといけない「ライフイベント」を何もこなしていない人です。エリクソンではありませんが、人間、時期ごとに行わないといけない課題があり、それを怠ると幼稚化する。発達課題を放棄する、場合によっては認知すら出来ない。それが前者の特徴です。

幸い、CARPE・FIDEMの参加者は後者のような、かなりの部分で「理解出来る」人達がほぼ全てなため、その点で苦労することはありませんが、仕事柄、幼稚園児みたいな大人に出くわすこともあります。学ぶこともせず、友人も恋人もおらず、仕事もせず、他人への配慮の1つも出来ない、それでいて、自己弁護だけは得意な人達です。

ライフサイクル毎に発生する課題は、しばしば面倒ですし、退屈ですし、場合によってはトラブルにしかならないこともあります。しかし、何となく自分の感情のままに、それを回避してきた人と、とりあえず先人の教えに従ってぶつかってきた人とでは、当然のように差が付きます。ただ、これの恐ろしいところは、毎日は小さな変化しかないため、良くも悪しくも評価がしにくい点にあります。

今の私は、過去の5年間に不満があります。しかし、それは変化が緩やかだったために実感が難しいだけで、本当はもっと自分を評価しなくてはならないのかも知れません。

これからの5年は、正直溜息が出るほど大量の何かを抱えなくてはなりません。しかし、その変化も緩やかですから、毎日きちんとすべきことをすれば、そこまで難しいことでもないのかも知れません。

 

高校時代からの親友から、先日連絡がありました。

「村君最近どう? 前話してた渓流釣り、今度行かない? うちの従業員でも、行きたがってるのいるからさ」

彼もまた、自分のライフサイクルの中で出会った貴重な資産です。なるほど、サボっているようでいて、高校時代の私は、やるべきことはやっていたのかも知れません。結果は、全て後になってから分かります。

「よし、行こうか。旨い酒と一緒に、魚と肉でバーベキューだな」

「いいね。奥さん放ったらかしで(笑)」

「お互いな(笑)。後で埋め合わせをしよう」

 

CARPE・FIDEMもまた、いつかどこかで、誰かのライフサイクルの一部となることを祈りましょうか。

 

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