不登校・引きこもりからの大学進学塾

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不登校から大学へ行く前に

 ありがたいことに、不登校関連の塾はかなりの数になり、「不登校だから勉強が全くダメ」という状況はかなり減ってきましたね。本当なら、学校組織が多元化し、塾というヤクザな選択肢などわざわざ取らなくても良い社会がベストなのですが、必要悪としては仕方ない部分もあるのかと。

 ただ、「勉強していればそれでOK!」のはずもなく、「何となく勉強だけして、Fラン大進学すぐ中退」みたいな話は逆に増えてます。彼らの言い分を聞く限り、不登校から大学進学する際には、以下の点で注意が必要。

1:それなりの学力持て
 不登校からFラン文系大学はよく聞くけど、これはコミュ力ある子でないと無意味。最低限、「安定度の高い資格取れる学部」or「就職安定度の高い理工系」or「地方国公立・MARCH以上」の三条件のどれかが欲しい。これ以外は、大体また引きこもりになることが多い。

2:コミュ障は直せ
 「コミュ力偏差値35」とか面白いこと言ってる子もいたけど、他人との会話でキョドらない程度には付き合い持つこと。塾行くなら、先生以外の友人が複数いる位でないと、結局また大学でボッチになる。塾の先生としか話せない系は、危機感持て。(と言うか、先生としか会わず、友人との交友関係持てない塾はほぼ無意味。)

3:異性との付き合いは大切
 実際に付き合う必要はないけど、経験がなさ過ぎて挙動不審になり、入学当初から詰んでる人を結構見かける。

4:体力つけろ
 ヒョロガリもデブも、基本嫌われる。同時に、体力は全ての基本。気持ちが続いても、体力が続かなければ意味がない。

5:毎日風呂に入り、服装と髪型には最低限の配慮を
 最低限、マイナスの評価は食らわない程度に整えること。臭いは論外。

6:女子は最低限のメイクを
 好意的に評価されれば、どんなことでも自信になる。結果論だけ見ると、すっぴんはアウトになりやすい。

7:自分と同程度の人間を友とすること
 不登校・引きこもり経験者は、上を模索すべきではない。まずは自分と対等に、安定的に付き合える友人を全力で見つけること。安定の次に、チャレンジを。

8:5年後の金稼ぎ算段を
 現在の長期高齢引きこもりは、親がATM化した人間ほど自立意識を失い、ますます底辺層に落ち込んでいる。経済的自立を考えない阿呆は、大体その後も引きこもりに戻る。

9:可能なら一人暮らしを
 大した事情もないのに、30過ぎて親元にいる人間は、大体精神的に未熟で幼稚なことが多い。自分で動かないと日常が回らない環境は、結果的に人を育てる。

10:親は死んだものと考えよ
 長期高齢引きこもりは、「親がいるのが当たり前」で生活している。脱ヒキ失敗例は親の存在が大きい。親は死んだと思って、自分の足で立つことを最優先に。

 様々な元不登校生を見る限り、とりあえず上から順に片づけていくと、大体何とかなってます。参考までに。

不登校・引きこもり雑感14

 過剰に忌避するわけでもないけど、初対面の人と仕事の話になったとき、「不登校や引きこもりの教育支援を行っている」旨話すと、「立派な仕事ですね」だとか「偉いですね」みたいな反応されることが結構ある。が、あれ正直止めて欲しいんだよな・・・・・・。

 文脈としては、「弱者救済してる健気なNPO」みたいな扱いって言えば良いのかな。何と言うか、そんな印象で接してくる。いや、NPOじゃないし、最初から完全営利ですわ。「弱者救済してる偉いボク達を褒めてね?」みたいな匂い出してませんから。自分も嫌いですから、そういう立ち位置。

 が、中には露骨に「社会から転落した可哀想な弱者を救済してる人」みたいな反応する人もいて、個人的には不満。一応、相手には悪気がない可能性もあるから、それなりに笑顔で聞いているけど、腹の底では、

「いや、ここの卒業生は、てめえなんかより遙かに有能なのゴロゴロおるで? 調子に乗るなよ?」

とか思ってる。笑顔で。

 不登校・引きこもりのイメージって、変な支援者が作り出した弱者像が先行していて、本当に困る。この人達のおかげで、どれ程面倒が増えたことか。不登校も引きこもりも、救済待ちで何もせず、「社会が悪い!」とか抜かすド底辺ばかりではないのですよ?

 同時に、自分としては、「弱者救済」しているつもりなんてないし、「良い事しています」アピールもしない。寧ろ、「悪いことしてます!」位のつもりでやってる。完全にビジネス。最近流行ってる、あの引き出し屋みたいな感じ? 悪いことしてまっせ?

 そもそも、弱者救済をウリにする人達って「臭い」ので、正直好きじゃないのよ。蓋開けてみれば、福祉系支援者が胡散臭いことてんこ盛りだった現実を見てきたせいもあって、「そんな連中と一緒にするな!」というのが本音。これは過去一貫して変わってない。

 不登校・引きこもり業界のスタンダードは「助けて助けて」の頭悪い展開ですが、そんなのばかりではないことが伝わると。

不登校・引きこもり~優しくされたら人生終了~

「引きこもりに対して、思いやりをもって接しましょう」

は、既に引きこもり支援業界における不文律みたいになってるけど、正直あれは止めた方が良いと思う。(まあ、今更もう無理なんだけど・・・・・・。)いや、別にそれが幅広く実行可能で、現実に改善ルートに繋がっているなら良いけど、実際はほぼ真逆。

 家庭に精神的・経済的余裕があるなら、多少は可能かも知れない。ただ、ベタ甘な「思いやり」で人生終了みたいな中年引きこもりが溢れている上、社会の側が恒常的に思いやりを持って接してくれることなど、まずあり得ない。思いやり前提の行動指針は、社会に出る前後でいつか破綻する。

 しかも悪いことに、この傾向を受けてか「思いやりを持って接して貰うのが当たり前!」のようなイタい当事者が、30~40歳以上の手遅れ群を中心に漸増していて、特に社会経験のない長期高齢引きこもり群の思考は、社会の平均から大幅にかけ離れてしまっている。

 少し前にTwitterにも上げたけど、基本「思いやり」を向けられる段階で既に弱者判定されている訳で、中学生や高校生ならまだしも、自立を旨とした人間からすれば、これほどまでの侮辱はない。そこを、積極的に「思いやり思いやり!」なんて言って喜んでいるようでは、最早尊厳なんか消し飛んでいる。

 個人的には、このような尊厳の消し飛んだ人間を量産する原因が「思いやりを全面に押し出した支援」に見えてならない。表面的には正しいように見えるし、スタートの切り口としては良いかも知れないが、この方向性を提示した支援者は、一体どのタイミングで社会との摺り合わせを行うつもりなのか? ベタ甘な状態を続け、何の訳にも立たない無能を量産し、最後は生活保護前提で社会に丸投げするのではないか、という疑惑が、どうにも消えない。

 良い顔は、誰にでも出来る。しかし、必要なタイミングで厳しく接することは、非常に難しい。最も困難な要素を二の次に、表層だけ取り繕う浅ましさは、引きこもり支援業界に延々と残る悪習。分かる人は、避けて欲しい。

頭の良い不登校生は、少し悩んでさっさと進学を

 経験則ですが、脱不登校・脱ヒキしやすい子、というカテゴリーは確かにあって、個人的認識では、「量産型秀才」がこれに該当します。

 量産型秀才とは、大体東大や京大等の旧制帝大系や、早慶あたりによくいるような、「まあまあ飲み込みが良く、記憶力もそれなりにあるけど、特段天才的な能力は無い人間」のこと。公立の学校ならいつも上位にいるけど、一流校に行けば、取り立てて目立つこともない程度の層、と言うと分かりやすいでしょうか。

 この層は、様々な意味でバランスの取れていることが多く、適切なガイドラインがあれば修正が効きやすいので、色々と楽。能力値も高いので、社会復帰後の所得水準も悪くないです。

 量産型秀才の不登校・引きこもりは、所謂「青年期の課題」程度のものがきっかけであるケースが主流で、同等レベルの「話せる友人」がいるだけで、大半の問題が解決したりします。トラブルとしては、極めて軽度。

 社会復帰は、大学進学が最も楽。持ち前の知能を活かせる上、就職に繋げることも出来、20前後までに進学すれば、何事も無かったかのように社会人化するケースも珍しくありません。

 ただ、その強みを活かせるのは、せいぜい20代のうちまで。30代に入ると進学ルートが消滅するので、標準的引きこもりとほぼ変わらない状況に陥ってほぼアウトに。20代までの行動が、その鍵となります。

 と、いうわけで、自分が量産型秀才だと自認している方は、さっさと脱ヒキをどうぞ。案外簡単ですよ。

長期高齢引きこもりは、兄弟姉妹を相続で追い詰める

 引きこもり家庭の相続問題、荒れてきてるな・・・・・・。

 引きこもりの相続系の話聞くと、本当にしんどい。ロクに働かない引きこもりがいるだけで、親族関係者の結婚や出産に影響出るのに、親が○ソだと、「私達が死んだら、あなたが○○(引きこもり)の面倒を見て・・・・・・」なんて言ってくる。こんな相談が、着実に増えてる。

 CARPEでテーマになるのは、実家に引きこもりがいる兄弟姉妹の話が主流なんだけど、彼等の親に対する言い分としては、

○何故、働きもしない子供の世話を延々しているのか?
○引きこもりを守るのは、もういい加減やめてくれ。
○引きこもりのいる家の管理どうするの?
○子供達も自分達の家には、絶対に来させないで欲しい。
○親子共倒れになった後で、自分達に金銭を要求しないで。

 そりゃまあ、そうよね。社会全体見渡せば、引きこもりになる前に家から叩き出してる家庭なんてザラにあるし、その現実を兄弟姉妹も知っている。それ故、自分の親の腰抜けっぷりも分かっている。と言うか、この腰抜けっぷりに苛立っている兄弟姉妹は非常に多い。

 兄弟姉妹側は、自分達に影響来ることが分かっているので、危機感が強い。引きこもりがいるだけで、自分のライフプランに悪影響が出るのは間違い無い上、親亡き後の厄介事が一方的に増えることになるから、それは自然なこと。

 一方、親側としては、荒事に耐えられる年齢でもなく、惰性で現状維持を選びがち。家庭内暴力を誘発する可能性や、最近増えつつある、引きこもりの無差別殺傷事件のことを考えれば、面倒なことはしたくない。

 必然的に、家族間の乖離が大きくなる。引きこもり1人発生するだけで、家庭は容易に破壊される。

 一方で、引きこもりの居場所や、当事者の集まりで、

「何もしていないのに、引きこもりが批判されるのはおかしい。自分はありのままで生きたいだけなのに」

なんて主張する引きこもりは、今でも結構いる。「何もしてないのに」ではなく、「何もしてないから」批判されているのに、それが全く分かってない。無為無策はニュートラル評価ではなく、明白な加害行為。「何もしない」という選択肢は、確実に周囲への迷惑となっている。

 生きていれば色々あるから、数日休むのは普通だし、1ヶ月でも構わないと思う。体が弱いなら、1年でも良いかも知れない。でも、3年引きこもりは流石に変だし、10年引きこもりとか、ほぼ狂気に近い。若いならまだしも、40過ぎの20年選手とかだと、ただの無能としか言えない。

 引きこもり当事者の「何もしない」は、今現在も兄弟姉妹を追い詰めている。この現状は、「何もしない」を肯定するおかしな左派系支援者達の置き土産。猛省を促したい。

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