当然の自立意識を持つ人が引きこもり当事者を見る目とは?

40歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任を持たなくてはならない。
エイブラハム・リンカーン 第16代アメリカ合衆国大統領

 自分にとって都合の良い言葉を聞いたら、一度はその背後を読み取る必要があります。

賛成意見について

 前回の否定的意見に引き続き、今回は肯定的意見を取り上げてみようと思います。

 肯定意見についても、その方なりの主張が見えるものだけをピックアップして取り上げる形に致します。総数が多かったため、取り上げきれないものもございましたが、その点はご了承下さい。

 ただ、肯定して頂いてこう言うのも何ですが、「引きこもりは今すぐ死ぬべき」とか「ニートが生きる居場所など、この社会にはどこにもない」など、正直なところ眉をひそめたくなるような意見も少数ながらありました。


確かに、ここのコラムの情報は厳しいものが多いですが、その主旨は、

「まだ間に合う当事者に対し、適切な情報提供を行うこと」

「手遅れ当事者の実情と末路が、具体的にどのようなものであるか知って貰うこと」

「誠実に生きている当事者それぞれが、自分の人生をもっと楽しめるようにすること」

にあるのであり、「引きこもりバッシング」にはありません。


 また、後ほど出て来るように、


生活保護や、親の年金を騙し取ろうとする当事者もいる一方、誠実に責任を負っている当事者もおり、その見極めをして頂きたいという気持ちもあります。

特に、メディアでは「引きこもりバッシング」をしやすい、所謂「救いようのない当事者」にスポットが当たる一方、優れた当事者は話題に上がらない傾向があります。

 優れた当事者のすくい上げが目標である以上、対比が際立つのは必然かと思いますが、


「ただ叩くだけ」という姿勢は、例えこちらへの肯定的意見だとしても認めるわけには行きません。「批判するなら、必ず対案を出す」を前提にして頂きたいと思います。

 以下に挙げるのは、「ただ叩くだけ」ではなく、その方なりの独自性が見えるものです。リンク先の全文についても、是非一度ご覧下さい。

身も蓋もないけど現実的な話題

 一つ目を紹介をする上で、まず最初に。頂いた多数の賛成意見を概観したところ、「当事者側の生きる姿勢的に」最も有益と思われるコメントがございました。ただ、残念なことに、そのサイトは現在では閉鎖されており、キャッシュによるデータの引き上げしか出来ない状態です。本来なら、リンク先の掲載が筋なのですが、いつ消滅するとも分からない状態でしたので、執筆者の方に無断で再掲載しております。

 つまり、



CARPE・FIDEMでの掲載は、「当事者側にとって有益である」との判断から、コラム執筆代表者が独断で実施したものであり、著作権上の問題については完全に違反しています。

コラム内部での掲載は、執筆者の方のご指摘があり次第削除致しますので、その旨ご了解下さい。

 また、


以下の文章は、ブログ「時々吼えるBPD」の執筆者「バーバラ」さんの努力の成果であり、CARPE・FIDEMの成果ではありません。

「バーバラ」さんには、無断で利用している点を陳謝すると同時に、ご意見頂けたことに深く感謝しております。ありがとうございます。

1:最終的に行きついて欲しいゴールを明示

参照:「時々吼えるBPD」

    
「引きこもりだけじゃない」より


http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:H-6XivrX174J:ara40bpd.rgr.jp/article/61891251.html+&cd=17&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


不登校のまま何もしなかったらどうなるのか?

社会批判をしたがる引きこもりについて

引きこもりについての記事を読んで、これは引きこもりだけに限ったことじゃないだろうと痛感。

まんまボーダーにも当てはまると思う。

リンク先の記事を読んで憤慨する人は「詰んで」いると思う。手遅れ。

「優しくしてー優しくしてー」と訴えた結果が今の自分であることに気づいていない。

誰が助けてくれたか?

自分は他人に何ができたか?

人は与えた分以上の見返りは な い ぞ 。

ボーダーだって、痛々しい人は周囲を痛烈に批判してるよね。死ぬほど恥ずかしいけど、自分がそういう人間だったから。

こういうことを10年前に気づいていればと思うが、後悔先に何とやら。

ほんとに、一刻も早く動かないと手遅れになる。

自分だって最悪の状態からは抜け出したけど、正直もう手遅れだと思ってる。

それでも生きるしかないのが世の中であり、自分の立場であるのだが。

周囲が自分に対して下している評価と、自己評価の温度差がボーダーや引きこもりは高い。

自分は何か輝くものを持っているのにと。それが発揮できないと。

何も持ってないし、その手にあるのはただの石ころだろう。

その温度差に気づかず、周囲はわかってくれないと攻撃的になるのが詰んでいる人たちの特長だと思う。

客観的になれないんだね。

少なくとも今のあんたをわかってくれる人は誰もいません。

カウンセラーが話を聞いてくれるのは、あなたがお金を落としてくれる客であって、カウンセラーはその対価として話を聞いているだけで、あなたを理解して助けようと思っているわけではありません。

いい意味で「割り切る・諦める」これができないと大変なことになる。

今ボーダーや引きこもりで社会生活を送れていない20代も、あっという間に30代。どうするよ。

作家になる、イラストレーターになる、30代でねえ。これまで勉強もせず、人の評価も批判も必死で逃げてきた人がねえ。

眉をひそめて「バカじゃねえの」と言う人が、本当は優しい。こういう人の周囲は心の中で「バカじゃねえの」と思いつつ、表面は優しくほほえんで「がんばってね!応援してるから!」。

それでボーダーはいい気になるけど、何せ実力や才能を持ち合わせていないから(こういうものは確実に生まれつきで、努力して身につくものではございません)、すぐに行き詰まって「自分を認めない社会が悪い!」。

自分を認めてくれない社会なんてと思うなら、世を捨てて山にこもるしか方法はないよほんとに。

だって普通に日本に生きている人間は、多かれ少なかれ「社会」と関わって生きていくしかないんだから。

世を捨てて生きる方がよっぽどたいへんだと思う。世を捨てると言うことは、ネットがなくなるということです。

情報を何も持たなくなると言うことです。わかってるのかな。

それが今の社会を生きている自分の状態なのですよ。

世を捨てたい、でもネットは欲しい、そんなの絶対無理です。

こういう詰んだ人たちってのは、多分、これまで「鬱」「引きこもり(社会不安障害)」「ボーダー(人格障害)」すべて「基本的に認めてあげましょう、受け入れてあげましょう、優しくしてあげましょう」とやった結果じゃないのかな。

ほんとは、そうしていいのは「鬱」だけなんだよね。

そうした人格障害(脳に障害がないが社会生活を送れない人たち)に対して優しくしてきた結果が、社会に適応できない人たちを作り上げてきたわけだから。

自分の経験からすると、「優しくする」のは逆効果、ただ「自分がどうあっても態度を変えない人間」の存在は死ぬほどでかかった。

ひどい自分を諫めることも怒ることもしない代わり、いいことがあってもあまり反応しない。

でもなぜかつかず離れずの距離にいる。

ボーダーは感情が爆発する生き物だから、色即是空空即是色じゃないけど、感情が豊かな人と関わると逆効果でしかない。

のれんに腕押し糠に釘、こういう人でないと。

でも、そういう人は賢いから、まずボーダーみたいな人には近づかないだろうけどね。

賢い人はまず感情を表に出さない。

だから、自分は宝くじに当たったようなもので、自分だけの努力で全て解決したわけではない。

そういう人に巡り会わなければ、今でも痛々しい人のままだったはず。

じゃあ苦しむボーダーはどうすればいいのか。

最終的に、自殺を合法的に行うのが一番なんじゃね?

でも、本気で死を選ぶ人はまだ自分を客観的に見ることができている人だろう。

死んだ方がいい、死んだ方が何かと楽になる人ほど、生き延びたがるのが世の常。

自殺した人だって、ある意味人生を「諦めて」楽になったとも言える。すごい乱暴な言い方だけど、それで苦しみから解放されたのは紛れもない事実だろう。

だから、「諦める」のは全部が全部、決して悪いことじゃない。

諦めることで、得られるものは必ずある。

今のあなたを認めて優しく受け入れる人も場所もありません。

ひがみではなく、前向きに諦めましょう。

そう思えるようになったあなたは、一歩だけ確実に、まともに近づいています。

posted by バーバラ at 11:38| Comment(4) | 日記

この記事へのコメント

「態度を変えない人の存在」は、

主観的に どんな効果がありましたか?

自分の全体像が描けるように なった・・・

(バラバラに存在していた感情が統合された)

(?)のですか?

Posted by こんにちは☆ at 2013年03月24日 06:18

コメントありがとうございます。

主観的というか、自発的に自分を変えたいと思い、かつ実行に移し結果が出るようになったというところが大きいと思います。

「この人を失ったら大変なことになる」という思いからです。

ボーダーは元々依存心の塊です。だから、この人を失うと大変、というのは仲良くなった人全てに対して思っていたことです。

ただ、「自分に対して態度を変えない人」がどれだけ自分にとってありがたく、得られたことは運でしかないことに気づいたら、これまでの人と比較にならないほど存在がありがたく思え、そして今のままでは必ずまた一方的に捨てられると確信しました。

なので、自分の態度を180度変えました。というか、変えることができました。

自分を変えないといつまでも一人のまま、ということに気付き、かつ、自分が変わらなければどんなありがたい人もいずれ去ってしまうことに気付いたタイミングがちょうど重なった、これもある意味運が良かったのかもしれません。

常に、ボーダーの回復は自己努力だけでは絶対無理だと実感しているので、タイミングが悪ければその人からも捨てられ、今でも全く自分は変えられなかったでしょうね。

Posted by バーバラ at 2013年03月24日 17:10

切り替えられ、かつ実行に移せる力

に感動します(TωT)

開き直りや 正当化に始終している人に

周りが何を言っても 

逆効果でしか無いのかも知れませんね 

「自発的に」でないと><

突破力が美しいと思う

Posted by こんにちは☆ at 2013年03月26日 06:16

コメントありがとうございます。

そもそも、行動に移せたのはタイミングというのもありますが、自分の見栄っ張り、自分を良く見せたいという思いから来ているようです。

しかし、それが実際に行動に移せてかつ周囲も目に見えるような「いい結果」が出ていれば、けっして捨てた方がいい考えではないと実感しました。

見栄っ張りな性格もその方向さえ間違えなければ自分のためになるということかもしれません。

ただ、そうした性格はとてもやっかいな暴れ馬のようなものですから、それを制御するのは容易なことではないのも事実ですが。

Posted by バーバラ at 2013年03月27日 07:33

 以上が該当箇所の抜粋になります。大変な苦労があったようですが、「バーバラ」さんは非常にバランス感覚に優れた、頭の良い方だと思います。今の社会を生きる上で大切なことを簡潔に述べておられますので、方向性を見誤っている方は、是非一度参考になさって下さい。

2:教育関係者の方からのご意見

参照:「プチメタ2.0」

    
「プチメタ日記:2013年3月1日(金) 11時40分」より


http://mclover.net/petit20/4523/

 専門学校講師の方からのご意見です。教育のエリアにいらっしゃるせいか、引きこもり予備軍となる「逃げ癖のある学生と親」に関する部分が目を引きます。推察ですが、同様の問題にお悩みなのでしょう。

専門学校を辞めてから社会復帰の努力をするよりも

専門学校にまともに通って社会性を身につける方が簡単で早い。

アルバイトを始めることは簡単だが、

一旦フリーターになった後で希望通りの職に就くのは難しい。

決断の時期を先延ばしにするためだけに舵を切っても

どこかで決断しないといけない時期が来る。

その現実を親が直視し、子供に教えてやることこそが愛情なのだ。

 上記のように、


親側が現実を直視することの重要性を伝えていらっしゃいます

が、実にまっとうなご意見だと思います。

 好き放題に放置した挙句、いざ手遅れになった段階で

「うちの子供は可哀想な子なんだから、社会制度が守ってあげないと云々」

などの主張は、手遅れ系当事者の多い親の会でも主張されていましたが、いかに表面を取り繕ってみても、彼らは本当の意味で「愛情のない親」なのでしょう。親の質に優劣がある点については、分野を問わないようです。

3:アスペルガー症候群当事者のお医者さんからのご意見

参照:「アスペルガー医師ロンの日常」

   
 「2013年03月12日(火) BLOOD, PUS AND GASTRIC JUICE」より


http://d.hatena.ne.jp/LiongHMD/20130312

 一風変わった雰囲気をお持ちの現役医師の方からのご意見ですが、


あまり難しいことを考えずに、取りあえずご一読してみることをお薦め

します。特に、

ワタクシは長年社会に出てて、何ちゅーか「社会の本音」ってヤツを実体験してるから、どーしても現実主義的でドライな考え方になってしまうのである。

とのことで、現実的な選択肢の残されているまだ若い当事者の方には良い指針となるでしょう。一段落だけ、分かりやすい参考例を挙げておきます。

ワタクシも時々この問題について意見を求められるのであるが、ワタクシの答えは「働け(未成年の場合は「学校行け」)」の一言である。というのも、いくらレシピ本を何冊も丸暗記してても優れた料理人には決してなれないのと同様に、一人前の社会人になりたいんだったら働く(学校行く)以外の方法は無いからである。何を差し置いても先ずは働く/学校へ行くことが最優先であり、サポートは必要に応じて適時行う。確かに当事者が社会に交わる事は難しいのであるが、引きこもって社会から隔離されたら尚更難しくなるからである。社会的インフラの整備?ンなモン待ってたら10年20年は余裕でかかるし、10年どころか5年あれば十分手遅れになる。だから働く/学校行って、苦労しながら少しずつで良いから、社会経験を通じて人間性を学ぶしかない。コレがベストの選択なんじゃなくて、即効性のある方法論の中で一番マシなのがコレだって言う話である。

3:ラジオメディアからのご意見

参照:「TOKYO FM TIME LINE」

    
「【コレって、どうなの?】 Vol.67 30歳以上のひきこもりは「詰む」という愛のムチ」より


http://www.tfm.co.jp/timeline/?itemid=61909&catid=1332

 前回のコラムでも紹介致しました、「TOKYO FM」スタッフの方からのご意見です。友人の1人が長期当事者のようで、具体例を挙げておられます。

母親によると、Aは、高校の途中から登校拒否になり、以来、15年以上、ひきこもりを続けていて、そこから脱却する気配は一切ないといいます。

その大きな原因は、Aの母親。ひきこもりを容認し続け、自分が死んだ後も、生活保護を受ければいいと、Aに言い聞かせているようなのです。

こうしたAの15年を知っているだけに、わたしは、『30歳以上のひきこもりは「詰む」』という厳しい言葉の重要さがすんなり理解できたような気がします。

 これは別の機会に後述しますが、


長期高齢当事者の現場において、

「親亡き後は、生活保護で世話をしましょうよ」

という発想が広がりつつある現状を垣間見ることが出来ます。


「自分達で責任を負えなくなったら、今度は社会に責任を負わせよう」

という卑しい姿勢がどこまで許容されるのか甚だ疑問ですが、残念ながら、これが長期高齢引きこもりの現状なのだと思います。


自分達の義務を蔑ろにし、本当に保護を必要としている人々を押しのけるその姿勢は、いかに弱者然としたにせよ、肯定されることはないでしょう。

4:社会に対して責任を負っているオヤヂさんから

参照:「おやじの主張(リストラ天国*日記*)」

    
「引きこもりが長期化する前にすべきこと 2013/3/9(土)」より


http://restrer.atgj.net/Entry/383/

 曰く、
「過去に上場企業の役員とリストラ解雇で就職浪人の経験がある、紆余曲折の人生を歩む、しがないオヤヂ」さんからのご意見です。「しがない」と仰っていますが、ブログ全体から幅広い知性が感じられます。

 長期高齢引きこもり当事者の事件などをいくつか挙げておられますが、最も気になった点を引用しておきます。

働きたくても仕事が見つからない人や、障害があって働けない人とは違い、心身に異常がなくても自ら進んで外へ出て働こうとはしない引きこもりの人に生活保護費を支給すべきかどうかは今後国民に問われていくことになるでしょう。

それにこうした家庭の問題、個人の問題に国が積極的に関わると「国が強制労働をさせようとしている」とか「弱いものいじめで人権問題だ」とか精神疾患の問題にすり替えたりと非難し糾弾する論者やマスコミが必ず出てきますので、できれば誰も触れたくはない難しい問題であることには違いありません。

 


引きこもりの問題で最も胡散臭いのが、「弱者の人権」や「精神疾患」といった、相手を沈黙させやすい主張を振りかざす人々です。

確かに、やむを得ない場合もありますし、病気が原因の当事者もいるでしょうが、それはどちらかと言えば少数派であり、多数派ではありません。また、

確かに長期引きこもり当事者は社会的弱者かも知れませんが、最初から徹頭徹尾弱者だった人など、そうそういるものではありません。逆に、意味の無い失敗を繰り返したり、無行動・無成長の挙句に、どうしようもない弱者へと転落した人はここかしこにいます。

ただ、これは自己責任というものです。

 本当に救うべき弱者とは、先天性の疾患を抱えたり、不慮の事故で怪我をした人など、本人にはどうしようもない問題を抱えた人々であって、行動を拒否した引きこもりなどではありません。


思慮の結果として発生した問題は保険の対象になるでしょうが、無思慮から来る弱者は自業自得というものです。

 「しがないオヤヂ」さんのようなご意見が出て来るのは、社会全体のコンセンサスとして、

「何もせずに弱者になったくせに、『私は弱者だから救って』なんて話が通用すると思ってんのか!」

という発想があるからでしょう。これは、一見すると厳しそうに見える発想ですが、「不公平」を無くす意味では、絶対に譲ってはいけない点だと思います。なりふり構わず、是が非でも「弱者の権利」を享受しようとするあまり、

「どうしたら(国からお金を貰えるような)弱者になれるのですか?」

「私の息子に(社会的保護が受けられるような)病名を付けて下さい!」

等と訴える人達も常時一定数おり、引きこもり問題におけるモラルハザードの一因となっている点も見逃してはなりません。

 残念なことですが、これは当事者やその親、酷い時は支援者側にも時々見受けられます。言うなれば、「弱者ゴロ」ですが、一見すると正しそうに見えるだけの不誠実な姿勢が肯定されるか否かは、誰の目にも一目瞭然でしょう。長期高齢当事者が苦しくなるのは、当たり前の現実から逃げたからであり、


社会一般の人々が当事者に厳しいのは、彼らが日々当たり前の現実に挑んでいるからです。そして何より、逃げを続ける当事者が、社会全体の非常に厄介なお荷物になるからです。

 オヤヂさんの仰る通り、この問題はいつか大きく表面化するでしょう。隠れてコソコソと不正を行う当事者が出ないよう、また、モラルハザードを回避する意味でも、長期高齢当事者の実情と経歴は、積極的に表に出すべきだと思います。表に出すことで、本当に救うべき存在と、ただ糾弾されるだけの存在とが、誰の目にも明白になるでしょう。

5:資本主義国で社会主義を主張することの意味

参照:「LNFO private」

「社会主義性格の日本人」より


http://www.lnfo-project.com/blog/2013/02/post-160.html

 鳥取県のダンススクール経営者の方からのご意見で、社会主義と資本主義の対比関係から論述されています。

かなり厳しい言い方ですが,やるべきときに,やるべきことをやっていない人たちには住みづらい世の中であることは事実なんです。それを世の中のせいにするのは簡単なのですが,当然,何も解決しないでしょ。

当たり前なんです。日本は資本主義なんですから。でも社会主義性格の日本人が多すぎるんです。

 このご指摘は、私も同じ切り口で何度か述べていますが、長期引きこもり当事者の痛い部分を正確に射抜いています。

 現実的に見て改善見込みの薄い長期当事者には、「自称心優しい癒し系」「世界の安寧を祈る平和主義者」のような人々がしばしば見受けられます。彼らは、自分達がいかに心優しく、弱い人々に手を差し伸べられる存在であるかを誇りたがりますが、


本当に弱い人々を救いたいなら、最初に注力すべきは「陳腐で浅薄な理想論」ではなく、「自分自身の強靭化」です。

 


強者には人を救う力がありますが、弱者には人を救う力などほとんどありません。特に、物理的、経済的に救う力は皆無で、どんなに頑張ったにしても、せいぜい同種の経験に基づく「共感」が限度です。

「共感」を否定する訳ではありませんが、過度の「共感」は「依存」と何ら変わりありません。退廃的長期当事者の付き合いが長続きしないのは、ここに要点があります。

 歴史的経緯から見ても、弱者救済は社会主義の中核ですが、修正資本主義的性格を帯びた現行の累進課税制度や社会福祉制度を見てみれば分かるように、


その財源となり、実際に無言で弱者を救済しているのは強者であって、弱者ではありません。はっきり言ってしまえば、弱者は弱者の救済など何もしていない。本当の意味で弱者救済を考えるなら、自分人身が強者となり、その救済にあたるのが最良のはず。

にもかかわらず、自分達の責任は放棄し、表層的に「弱者保護弱者保護」と訴えるその姿は、滑稽を通り越し、もはや理不尽ですらあります。

 結局のところ、


「弱者救済!」と叫ぶ彼らは、最初から本気で弱者救済をしようなどとは少しも考えておらず、単に自己の不甲斐なさをカモフラージュし、正当性を得たいがために、もっともらしい主張を繰り返しているだけ

なのではないでしょうか。

 今回のご意見でもあったように、引きこもり当事者で、特に「優しさ」を前面に出したがる人々は、基本的に社会主義的発想で生きています。そして、自分でその活動費用を稼ぐことはしない一方、

「税金は弱い人々のために使うべきだ」

とか、

「金持ちからもっと税金を取れ」

などと、自分達への保護や、他人の稼いだ金の使い道ばかりに執心しています。

 


当事者側が社会に出る際には、その社会主義的発想を部分的に放棄し、最低限の資本主義的発想が必要となります。

具体的には、

「何となく動けないし、動くの面倒だから、誰かの背中におぶさって面倒見て貰おう。その方が楽だし」

などといった、社会主義の特に卑しい部分を捨て、

「他人の人生を食い潰してまで生きたくない。少なくとも、自分自身の食い扶持程度は稼げるようにしよう」

という、最低限の資本主義発想を持つことです。

 現実問題として、日本は修正資本主義で運営されているのですから、社会主義発想の全部を捨てる必要はありません。部分的で良いのです。にもかかわらず、それすら実施しない当事者に、生きる道がないのは当然のことです。彼らは、思い知らされるべくして、思い知らされているのです。

 「優しさ優しさ」と訴える「自称心優しい当事者」は、何故イギリスが長い英国病に悩まされたのか、何故社会主義国家が相次いで崩壊したのか知っておく必要があるかと思います。


全員が責任を放棄し、依存と寄生を繰り返したその先は、どんなに言い訳してみたにしても、全員を不幸にした以上のものはありません。

彼らが「優しさ優しさ」を繰り返す度、水面下の意地汚い卑しさが透けて見えるような気がするのは、きっと私だけではないはずです。

6:「時間」の大切さについて

参照:「トマの日記」

    
「ひきこもりの末路」より


http://d.hatena.ne.jp/domegi_2005/comment?date=20130220

 「トマの日記」とありますので、多分「トマさん」からのご意見(だと思います)。個々人に割り当てられた「時間」という資産について言及されていますが、その他の話題でも、興味深い内容の多いブログだと思います。「時間貧者」になりがちなCARPE・FIDEM内部の人間にとっても、これは他人事ではありません。

この世で多分一番価値がある資産は『時間』だ。これは100%平等に与えられており、金持ちだろうと貧乏人だろうと貴族だろうと平民だろうと分け隔てなく24時間毎日手に入る。ただし、繰越はできない。毎日使い切りの資産だ。貯金も出来ない。

この掛替えの無い資産を引きこもりの人達は様々な理由があったにせよ、無駄使いしてきた存在だ。そして時が過ぎ、年齢を重ねてしまった。他の人たちはその限られた時間資産を投入し、浪費したり、消費したりしながら生きる為に必要なスキルやもろもろの経験を獲得した。そして今がある。その時間的マイナス面を短期間に取り替えそうと言うのだから当然、肉体的、精神的負荷は増大する。それを乗り越える事が出来れば『取り返し』がつく訳だ。これは非常にフェアな戦いだと思う。本人のヤル気とチャレンジだけでなんとでもなるし、辞めるのも自由だから。

 手遅れ系当事者の意見として、

「俺は恵まれてなかったから、こんな状況に陥って云々」

という常套句があるのですが、現実的には全く通用していません。

 実際に見てみれば分かることですが、


引きこもり当事者は圧倒的な「時間強者」、即ち、時間資源を大量に保有している、ある種の有力者です。

時間強者にとって、その豊富な資源を使用し、経済的強者や社会的強者になるなど造作もないことです。

特に、10代や20代といった時期の時間資源は、その後の時間資源と比較しても、圧倒的な強みを持ちます。若ければ学ぶ苦労も少ないですし、社会も若年層にはそこまで厳しく当たってはきません。多少の失敗にも寛容的ですし、何より体が頑丈です。

 しかし、その豊富な時間資源をどのように使用するかは、全て個人の判断次第です。懸命に勉強したり、お金を貯めて世界一周の旅に出る人もいれば、何もせずに惰眠を貪ったり、ゲーム漬けの毎日を送る人々もいます。当然のことですが、現在の自分の姿は、これまでの自分の判断の結果論です。


今の自分が誇れる存在なのは、これまでの経緯的積み重ねがきちんとあるからでしょう。逆に、今の自分が退屈かつ矮小で惨めな存在なのは、これまでの経緯的積み重ねが何も無く、時間を無駄に浪費したからでしょう。

 人間、30にもなれば取り返しのつかない位の差が出て来ます。無論、そこから努力を積み重ねることも可能ですが、段階的に体が言うことを聞かなくなってきますし、頭も鈍って来ます。


即ち、時間資源の劣化が始まるのです。

 若いうちは何をして良いか分からないかも知れませんが、狭い世界に閉じこもることなく、世界を広く捉え、豊富な時間資源とバイタリティを活用しておいて下さい。その方が、トータルで見ても「得」です。


トマさんのお話は、実に当たり前のお話なのかも知れませんが、若い人達が絶対に外してはならない要点を射抜いています。

7:その他の好意的ご意見

 数が多く、全ては掲載出来ませんが、いくつか気になったサイトに一言コメントを添えて掲載致します。

参照:「だるすとの短気は損気」

   
 
「CARPE・FIDEMから学ぶ人生設計」

より

http://elderdarusuto.blog118.fc2.com/blog-entry-783.html

 「だるすと」さんからのご意見です。

あの病気にかかってから親が死んでも

生活保護もらえるんじゃね?ということまで考えていました

という状況から、

あのコラムに関しては賛否両論あるようですが

どちらが正しいなんてどうでもいい

俺の自立の助けになるならどうでもいい

問題は「俺が自立できるか否か」

社会はそこでしか判断してくれない

という結論に至っている状況を鑑みるに、だるすとさんは、きっといつか社会全体を支える存在になってくれるでしょう。まだ若い方かと推察しますが、大変頼もしいです。

 同じく若い世代からのご意見を合わせて追掲載しておきます。

参照:「莢迷の旅」

   
 「俺は引きこもりをやめるぞ、ジョジョー!みたいな」より


http://hitosi-a.hatenablog.com/entry/2013/02/03/085701

 こちらも、何らかの形で立ち上がる姿勢を見せてくれているようです。「自立は当たり前」という姿勢が全体の主流派になれば、まだまだこれからの社会も面白くなるでしょう。

参照:「自分の足で立てない小鹿」

    
「うんこにんげん」より


http://blog.livedoor.jp/unkopeeple/archives/24379532.html

 「るろうにーと」さんからのご意見です。引用はしませんが、兎に角一生懸命に生きていらっしゃる方で、拝見する限り、頭が下がる思いです。滋賀県にいらっしゃるようですが、機会がありましたら、是非お話を伺いたい方です。無理をしがちなようですので、健康にだけはご注意頂きたいと思います。

 また、これは別の機会に掲載しますが、最近特に問題となっている「低品質なカウンセリング」についても少し言及されています。


一見すると非営利のように見せかけておきながら、営利に走る「自称カウンセラー」は、不登校・引きこもり関連の話題ではそれほど珍しくありません。

問題に対する解決ルートは、きちんと精査した上で決定しましょう。

参照:「プロ野球2013 キモノの国のエクソダス」

   
 
「「人生を詰んでる」基準ってありますか?」より


http://chidori.kimonomichi.com/?p=189

 特にこれといってコメントはないのですが、非常に元気のある方で面白かったのと、ネコが可愛かったので掲載致しました(笑)。

個人的にはこれを壁に貼っておきたいものです。ニヤニヤしながら「おばちゃんって年収いくらなの?」と聞いてくる甥っ子に、将来なにかあったらこのページをプリントアウトして読ませようと思いました。

と仰っていますが、こんなものを読む必要のない甥っ子さんになって欲しいですね。


本気で数年間悩むのは、長い人生の肥しになりますが、それを10年も20年も続けるのは、ただの愚か者です。

 主だった肯定的意見は以上になります。この他にも、また追加項目があり次第、段階的に掲載していこうと思います。次回は、コラムをきっかけとした派生意見を掲載する予定です。