不登校・引きこもりからの大学進学塾

不登校・引きこもりからの勉強は、仲の良い友人を作ることから

「大村さん、授業中だけど、今日は勉強止めて皆でカラオケ行きません?」

CARPE・FIDEM的日常

 何も考えず、ただ毎日勉強するだけで成績が上がるとは限りません。

活動の補色関係

 東大他旧制七帝大や、早慶等の有名私大、医学部医学科等、国内最上位群の集まる大学では、しばしば「頭脳」「性格」「容姿」「活動」の全てに恵まれた、特殊な学生を見かけることがあります。先天性要素の強い「容姿」は別にしても、誰もが羨む性質を持ったその人生指針には、往々にして見る者に自省を強制するものがあり、彼等の現状が、ただの天恵依存でない事実に気付かされます。

 彼等の行動は、偏に「可塑性」に尽きると個人的には考えているのですが、人によってはこれを「柔軟性」や「寛容性」、「好奇心の広さ」と見ることもあるでしょう。また、付和雷同するでもなく、成長を前にしては、自分自身の変化変動を厭わない軟性と同時に、自分にとって本当に大切な核については、絶対に譲らない硬性を併存させている様が見て取れます。

 軟性の要素をより具体的に表現するなら、「特定の行動のみを取るのではなく、常時活動幅を広げ、複合化させている」が妥当です。机上の勉強がある程度進んだら、体を動かしてリフレッシュしたり、友人との付き合いが続いた後には、一人で沈思黙考する等、対極にある行動を意識的に取り入れて生活しています。

 大事を成し遂げるには、一見すると無駄とも思えるこの行動ですが、人間の集中力の限界を鑑みれば、極めて合理的かつ有用です。半面での倦怠が、もう半面への希求を生み出すのは至って道理にかなっていますし、希求による成長は、いかなる分野においても応用が可能です。推定ですが、彼等は人生の早い段階で、この事実に気付いているのかも知れません。

 CARPE・FIDEMでは、彼等のこの行動指針を、 不登校 引きこもり経験者に対する日々の指導指針として取り入れています。

 

不登校・引きこもりの「補色」

 対極行動が人の成長を促すとするなら、不登校・引きこもりにおける対極とは、「より豊かな人間関係の構築」となりますが、人間関係で躓いた者が、希求の念を持って当該分野に飛び込む蓋然性はほぼ0です。

 しかし、偶然か必然か、彼等の想定よりも人間関係がスムーズに構築出来た場合、或いは、人間関係よりも厄介な問題が現前し、相対的に人間関係の問題が矮小化した場合はどうでしょうか?

CARPE・FIDEMにおける学習と対人関係の相互成長モデル 不登校 引きこもり経験者にとって、学習と対人関係の構築は交互に行うことが望ましい。
CARPE・FIDEMにおいて、学習と対人関係の成長は概して交互にやってくる。
片側が停滞していても全てが停滞しているとは限らず、指導側は各人の成長領域を個別に把握する必要がある。

情熱期

 初めてCARPE・FIDEMに参加した新規参加者の大半は、開始1~2ヶ月程の期間の多くを学習に費やし、過去に取りこぼした学力面での遅延を解消しようと努力します。(これを「情熱期」とします。)実際のところ、新奇性と緊張感から、この期間の学習効率は比較的高く、指導側の要求に対して異をとなえるケースも極めて稀です。

 一方、情熱期における姿勢は、基本的に虚像であり、当人の本来の性質を表しているとは限りません。分かりやすく言えば、「猫をかぶっている」状態に過ぎず、この時期でのニーズは、指導側でも生徒側でも安定性以外には存在しません。当人が新環境における索敵作業を終えるまで、指導側は押し黙って待ち、安定性確保のためだけに全エネルギーを投入する必要があります。

倦怠期

 1~2ヶ月の情熱期を過ぎると、次第に学習効率が低下し始めます。(これを「倦怠期」とします。)ここでの倦怠とは学習面における倦怠ですが、環境への順応から来る油断でもあります。もう少し直情的に言えば、ただの「飽き」で、この点は誰の目にも明らかですが、この倦怠期をどのように利用するかで、その後の動きは大きく分岐します。

 CARPE・FIDEMでは、この倦怠期に複数の参加者を集め、参加者提案型の課外活動を実施しています。課外活動の幅は、指導側の推薦によるものから、参加者の子達からの要望によるものまで雑多に確保していますが、主立ったものとしては、カラオケ・BBQ・小旅行・川釣り・バイキング・宅飲み会等、比較的ライトなものからスタートすることが多いようです。

 人付き合いが苦手な子でも、付き合い自体を忌み嫌っているわけではなく、適切な対処の出来ない自身の不甲斐なさを呪っているだけで、機会があればそれを克服しようと考えています。学習上の飽きが、別件の課題クリアに有効に機能する可能性があるのはこのためで、指導側の適切な判断と、集散メンバーの状況にも寄りますが、大筋50~75%がこの倦怠期を利用して、人間関係構築上の波に乗ります。

反省期

 その一方、倦怠期は必然的に学力の低下を伴いますので、大筋7~8月に前後して、「反省期」に至ります。スムーズな友人関係が確保出来たとしても、CARPE・FIDEMの本論はやはり学習ですから、いつかは机上の学びへの回帰が求められます。模擬試験の結果に右往左往するのもこの頃で、学習面への反省と、クラスの安定性とが併存した環境が生み出され、指導側としても腰を据えて学習指導を行うことが出来るようになります。

 当人にとっても、反省期に至って初めて、状況に最適化された本格的な学習がスタートします。成績が急加速するケースも珍しくなく、環境への適応と平穏な友人関係とが、成績向上に直結します。

円熟期

 反省期を過ぎると、今ひとつ馴染めなかった残りの一群も、段階的に周囲に溶け込めるようになる「円熟期」を迎えます。これは、倦怠期において先行して完成された人間関係に残りの子達が親和するためですが、親和には、しばしば指導側からの斡旋が伴っています。斡旋の根拠はあくまでノブレス・オブリージュであり、その対価はノブレス側の成長ですが、対価を否定的に捉え、斡旋を拒否するケースがほぼ存在しないのは、CARPE・FIDEMが参加者の子達に恵まれている証左でもあります。

 (尚、円熟期以降も課題は継続しますが、それはまた別の機会に改めることにしましょう。)

学習と人付き合いの相補関係

 不登校・引きこもり経験者において、机上の学問を改善への片面とするなら、もう一つの片面は、人間関係の円滑な構築です。しかし、この二者はどちらか一方のみを直線的に伸ばすことが困難である一方、相互の補完関係を意識して取り組むことで、全く想像だにしない成果を得ることがあります。

 運否天賦任せの部分がある点は認めざる得ませんが、人事を尽くした上での可能性としては、悪い判断ではないとCARPE・FIDEMでは考えています。学習と人間関係のバランスに悩んだら、一度検討してみるのも有効でしょう。

参考:「教室の空気は、平和かつ楽しいものにしたい」

不登校 引きこもり→医学部受験組が気をつけていること ~数学編~

「驚きました。駿台の東大模試で、理三A判定でした・・・・・・」

医学部へ進学した元不登校の卒業生

 

 不登校 引きこもりに限定される話ではありませんが、医学部医学科を狙う場合、最優先にすべきは、何はともあれ数学です。

利幅の大きさとその事情

 特異的な能力保持者を選抜する場合、得点のべき乗がしばしば有効となりますが、現在の日本では、あくまで傾斜配点を加味した総合点での合否判定が主流で、受験業界の最上位層である医学部の選抜でも、それは変わることはありません。

 一方、実際の合否状況では、得意科目によって合格率に変動があり、とりわけ数学が得意な子は、英語や理科が得意な子達よりも優勢を取りやすい傾向にあります。大半の大学における英:数:理の配点比率が1:1:1である点を鑑みるに、一見すると奇妙に見えるこの現象ですが、実は事情があります。

 例えば、学習スタート時こそ、やる気の有無等を原因として差のつきやすい理科は、ある程度まで進むと伸びしろに上限が発生し、ほぼ全員が横並び一線となります。「物理で時間を短縮させ、化学の時間を確保する」などの戦略は取れたとしても、全員が全員似たような戦略を取れば、差異化にも限界が発生しますから、最終的には皆似たり寄ったりのスコアになります。

 また、詳細は回を改めますが、英語についても同様のことが言え、特に「英文読解」や「英文和訳」、「英文法」の3項目については、上位層になるほど、スコアが一定値に収束します。

 しかし、数学だけはこのような現象が発生しません。無論、ある程度の段階的収束値は存在するのものの、「天才群」「努力の限界まで極めた群」「普通の合格者群」とでは全くスコアが異なり、特に「努力の限界まで極めた群」と「普通の合格者群」との差は大きく、平均的には、本番でも15~20%の差が確認出来ます。従って、差のつきやすい数学にエネルギーを投入し、他を圧倒出来れば、医学部受験での有利は揺らがないものとなります。

 

努力家達の足跡

 そこで今回は、数学で受験を有利に進めていた子達に協力を仰ぎ、どのような学習スタイルを意識していたか調査してみました。調査は、

○実際に医学部医学科へ進学した元不登校 引きこもりのCARPE・FIDEM卒業生

○汎用性を優先し、IQ値が極端に振り切れた子達は対象外とする

の二点を要とし、平均的な能力値を持つ学生さんに有効と思われる部分のみを抽出しています。ボリュームゾーンとしては、東大他帝大系・東工大・地方国公立医学部・早慶(理工)レベルの受験生が目安となります。

 

1:定石問題は定石通りに解答する

 医学部受験の要諦は、「手堅さ」にあります。合格する子達の大多数は、「定数分離&微分」「推移図による確率漸化式」等、定石問題は定石問題として、あるべき最短ルートで確実に満点を取っています。逆に、成績の伸びない子達は、定石問題に我流でアタックしては時間をロスしたり、わざわざ面倒な解法を選んでは、計算ミスを誘発させています。勉強不足の場合には、そもそも定石問題であることさえ見抜けない事例が見受けられます。

 医学部とは言え、5問中大体3問は定石問題で構成されているのが一般的ですから、定石問題を絶対に外さないことが、合格への第一歩です。

 

2:傍用問題集レベルのパターン問題一単位を意識し、階層毎に一つ一つ処理する

 若干難しいように見える問題でも、解答ルートを俯瞰すると、パターン問題の組み合わせで構成されていることに気がつきます。例えば、以下の例を見てみましょう。

 これは、初心者には難しく感じる一方で、経験者には容易に見える定石問題です。①~⑧の項目を追跡すると分かるように、一つ一つのテーマは教科書傍用問題集のレベルに留まり、特段難しいポイントは存在しません。定石問題は、その内部に小さく区分された平易なパターン問題を内包しており、それらを一手一手クリアすることで完答出来るように構成されています。従って、まずはこの主要パターンを網羅し、適切な順序での処理することが求められます。

 

3:教科書と傍用問題集をバカにしない

 まれに、河合塾全統模試のような標準的な難易度の試験で、「解けるときは解けるけど、ダメなときは全滅」みたいな話題を持ってくる子がいますが、このタイプは、「基本をとばして、よく出るちょっと難しい有名問題を暗記している」に過ぎません。実際にテストをしてみると、教科書の章末問題さえ解けないことが多く、「解ける」と思っている認識自体が、ほぼ虚像に近いことが分かります。

 この状況から脱却するには、まず教科書の要点整理と傍用問題集を一から丁寧に解くことが必要で、特に数学ⅠAについては、指導者から要点を整理して貰った上で、抜けの無い学習が求められます。

 天才的な閃きを持つ人はどのような学習でも構いませんが、私達のような凡百は、偉大な先人達の成果に縋らないと絶対に成長出来ません。そして基本にこそ、先人達の遺した要点がちりばめられています。くれぐれも、基本を疎かにしないようにしましょう。

 

4:既習範囲の復習には、一テーマあたり0~30秒を目安とする

 経験則ですが、CARPE・FIDEMにおける医学部受験生の二次試験直前期の学習時間配分は、概算で、

未知の問題へのチャレンジ:既知の問題の復習:過去問演習=1:5:4

となっています。仮に1日10時間の勉強時間があるとすると、復習に5時間近いウェートを割いている計算になりますから、一見すると復習過剰にも感じられます。

 しかし、これを主要科目で割ってみると、せいぜい各科目1時間程度。元々ボリュームの多い数学でさえ、1日に割ける復習時間が1時間程度と考えると、かなり心許ない数字です。それでも広域にわたって復習せざる得ないとするなら、有名問題の復習でも、せいぜい一テーマあたりにかけられる時間は30秒が限界となります。

 無論、手が追いつきませんから、30秒の復習では筆記は使えません。そのため、ここでは、

「問題の確認」→「解法の概略を脳内で想定」→「解答を見て正誤チェック」

という、解法ルートの確認を目視と脳内でのみを行い、具体的な計算は行いません。具体的な計算は、過去問演習の内部で実施します。

 この復習の良いところは、繰り返すうちに問題自体を暗記してしまい、最終的には頭の中で全ての復習が完結出来る点にあります。復習が脳内で完結するなら、復習時間は実質0秒となり、空き時間を過去問演習や、未知の問題への挑戦に充当することが可能となります。

 復習が追いつかないと悩んでいる場合には、単位問題あたりの復習時間を短縮し、時間密度の向上を心掛けてみましょう。

 

5:添削によるチェックを怠らない

 試験に限りませんが、独善は失敗のもとです。自分では出来ているつもりでも、実際の試験で得点出来ていないことなど、多々あります。特に数学はこの傾向が顕著で、「答だけ当たっていれば大丈夫」ということはほぼありません。

 そのため、必ず第三者によるチェックを受け、「出来ているつもりで実は0点」という箇所を丁寧に潰す必要があります。経験則上、添削を拒否する子はほぼ受かりません。保身は必ず身を滅ぼす現実を知っておきましょう。

 

6:問題の難易度から、配点の推定を行う

 入試問題には採点基準がありますが、通常はサンプルを抽出して調査採点を行い、全体の出来具合を見てから採点基準を作成します。そのため、皆が解けている問題に対しては採点も辛く、誰も解けていない問題には採点も緩くなります。より具体的に言うなら、易問に対しては、ほぼ完全な○でないと点がつかない一方、難問に対しては、答が全く当たっていなくとも、解答方針や途中経過への部分点が大盤振る舞いされる傾向があります。

 従って、難易度の低い問題はミスの低減を最優先に考え、難問については、計算の正確性よりも解法ルートの正しい選定にエネルギーを割くべきです。無論、全て正確であることが望ましいのですが、多忙と緊張で張り詰めた現場でそのような芸当は困難です。限られた資源を効率良く活用する方法が求められます。

 

 以上6項目は、標準~やや上程度の能力値に留まる平均的な受験生に対しても、有効性が高いことが確認されています。「努力しているのに、成績が伸びない・・・・・・」「何をどうして良いのか分からない・・・・・・」等の際には、一度参考になさって下さい。

参考:「医学部と多浪と引きこもり」

教室の空気は、平和かつ楽しいものにしたい。

 朝起きたとき、元気に目が覚めるか、或いは、陰鬱な空気に包まれているか。それを決めるのは、今日これから向かう先の環境で決まります。

 私は、参加者の子達が、

1:無理のない人付き合いが出来ること

2:経済的に自立出来るだけの十分な能力を持つこと

の二点を最終的に確保し、苦労はあれど、平穏な普通の生活を送れるようになって欲しいと考えています。よって、日中の多くの時間を過ごす教室の環境は、可能な限り平穏で楽しいものになるよう心掛けています。

 その意味では、先日のイベントは大成功でした。元々は、新規参加の子が「スイーツバイキングに行きたい!」と提案したことがきっかけで、新宿のヒルトン東京へ。現地でバイキングを楽しんでいたところ、他の子から「今から皆で遊びに行きたい!」との追加提案があり、急遽授業の予定を変更して、ラウンドワンへ。

 夜中まで遊び倒した結果、翌日の激しい筋肉痛は避けられませんでしたが、これをきっかけに、お互いの会話がスムーズに。「姿は見ているけど、あまり話したことがない」状態から、「話したことで、人柄が分かり安心した」状態にランクアップし、参加者の子達の関係性がより安定化しました。

 誰しも同じことだと思いますが、得体の知れない環境に毎日向かうのは苦痛なものです。行って苦痛な環境に喜んで行く子はいませんし、行って楽しい環境から逃げる子もいません。従って、皆が皆平和に、安心して自然と楽しく暮らせる環境を構築することは、私の責務と言えます。

 しかし、これも参加者の子達の提案あってのこと。是非次回も面白い提案を!

引きこもり と強権的な親について ~強制力の強い親は本当に悪いのか?~

「 引きこもり の話は分かったが、働きもしないで、そいつらは一体どうやって生活してるんだ?」


外房の漁村で出会った老漁師

 

 残念なことに、 引きこもり 支援業界には「強制」=「絶対的な悪」と短絡する人々が一定数存在しますが、更に残念なことに、支援の基本指針を策定する指導層程、その短絡がより一掃顕著です。

 

虚偽、或いは正誤の問題

 最近の引きこもり業界では、長期高齢引きこもり界隈を中心に、「父親が(或いは母親が)子供に強く強制したから、引きこもりが悪化した」なる言説が度々出てきます。しかし、客観的に見てこれは嘘です。本当に強権的な父親は、子供のひきこもりを許すことなど100%あり得ず、早々に家から追い出してしまうためです。

 長期高齢引きこもりの言う強権的な親とは、せいぜい「口煩い親」や「行動にあれこれ文句を言って活動を制限する親」程度のもので、強権でも何でもありません。そこには、喧しく、自分の都合通りに動かない親を悪者に仕立て上げ、自身の保身を画策する浅ましさがあるだけです。

 強権的な親のいる家庭では、仮に引きこもろうとしても、家から叩き出される等の物理的排除を受け、その選択肢自体が早々に潰される。強権的とはそういうものです。親が長期にわたって引きこもりを許している以上、そこには強権性など存在しません。寧ろ、強権とは名ばかりの、中途半端な甘やかしが親側に見え隠れします。

 強権性が誤った形で子供に向いた場合、そこで発生するのは「子の引きこもり」でなく「親の虐待」で、結果として子供が幼少ならば「家出」、ある程度成長していれば「一人暮らし」が誘発されます。誤りの形式は多々あれど、危険な家に残る道理はどこにもありませんから、誤った強権性は必然的に子供の退避行動を誘引します。

 以上のような事情により、「親が強権的だから引きこもった」は、強権性の正誤両面においてもあり得ない話であり、偽りです。

 

古い昭和の発想?

 昔と比較すれば、強権的な親の存在はかなり減りましたが、地方では今もそれなりに健在で、私も「良識的ながら、ある程度の強権性を伴った家庭」複数との関係を維持しています。

 そこで、彼らの行動指針の中核となる三つの要素を紹介してみましょう。

1:働かざる者食うべからず

 子には子の、親には親の義務があります。義務を果たしているなら、彼らは何も言いませんが、義務を果たさない者に対しては制裁が待っています。

2:自分のことは自分でやれ

 自分の尻は自分で拭うものとされており、疾病や加齢等、やむを得ない事情でも無い限り、自分の世話を他者に行わせるなどあり得ない話です。

3:世間様に迷惑をかけるな

 自分には自分の人生があるように、他人には他人の人生があります。他人を尊重するなら、まず相手に迷惑をかけない振る舞いを知るべきです。

 

 良識的ながら強権的な家庭では、最低でもこの三要素が絶対的なルールとなっており、同種の家庭では引きこもりも発生していません。引きこもりとは、これら全てを侵害する行為ですから、子供の側でも最初から選択肢に入らないためです。同時に、この三要素は子供に対する躾の基本指針となっており、幼少期から繰り返し説かれ続け、そして当然のことのように実践されています。

 当人が望む望まないに関係無く、仮にも指針を侵すことがあるとするなら、その家庭に子供の居場所はなく、ただ黙って去るしかないのが掟ですが、しかし過去においては、それが自立の一つと考えられていました。間接的ながら、家庭における強権性と不自由とが、結果的に子供の自立を後押ししていたのです。

 

支援現場での実情

 その一方、現在の引きこもり支援業界では、一部の福祉系支援者を中心に、上記三要素を「昭和の悪習」「忌むべき人権侵害行為」と捉え、真逆の対処で応じています。「働きたくないなら、働く必要はありません。生活保護があります。自立は二の次です。人に頼ることを考えましょう。世間に捕らわれず、自分を信じて生きましょう」が基本スタンスで、アフターコロナ以降、この傾向は特に顕著となっています。

 彼らの主張するこの姿勢は、支援の効果を観察するに、自室から出てこない引きこもりを部屋から出す初動支援には効果的ですが、就職という出口戦略においては寧ろ真逆に機能するという、致命的な欠陥がありますこれは、就職経験の乏しい長期高齢引きこもりが、支援によって部屋から出るようになってもほぼ就職せず、状況によっては再び引きこもりに戻っている点からも明らかで、8050問題の停滞要因となっています。

 就職上の欠陥を補うため、彼らは積極的に生活保護を推奨していますが、上記三要素を維持し、社会を支えている人々からすれば、一方的な不利益を負わされることになります。そしてその負担は、引きこもり当事者が死亡するまで延々と続き、概算するだけでも、現在の生活保護の支出総額を倍加させる程度のインパクトがあります。

 引きこもりの中断には、上記三要素を持つ家庭の姿勢こそが支援上の最重要ファクターとなるはずなのですが、何故か引きこもり業界では批判の対象となっており、最優先で排除すべき敵とされています。

 

自由に生きる権利・それに伴う義務

 少なくとも、私は個々人の自由な活動を好意的に捉えていますし、私自身もその自由を楽しむ者です。しかし、自由は権利であると同時に義務を伴うものであることも深く理解しています。万人が義務を忠実に履行するからこそ、それぞれの自由も確保されている現実に対し、自由と言う名の果実だけを掠め取る行為は、窃盗や詐取と同義です。窃盗行為を積極的に推奨する支援者がいるのは大変残念なことですが、義務履行の大前提を支援者が軽んじる現状を鑑みるに、この傾向は当座止むことはないでしょう。

 無論、ただ徒に力を振り回し、目下の者に圧力を加え、脅かす類の強権性には反対です。しかし、強権の背後に控える道徳までも「古臭い家父長制の残滓」とし、一網打尽に切り捨てる姿勢には疑問を感じざる得ません。まして、切り捨ての代替案として提示する彼らの福祉的手法に少なからぬ手落ちが存在するため、その疑問はより一層強いものとなります。

 福祉系支援者がこの「古い昭和」の切り捨てに積極的なのには訳がありますが、しかし、それについては、また回を改めることにしましょう。

不登校にありがちな「暗記嫌い」への対処方法について

 学習指導をしていて毎年思うことですが、CARPEに来る子は、論理や理屈に強い一方で、地道に暗記する等の作業系学習を嫌う傾向があります。具体的には、英単語や漢字、化学の元素記号等がそれらに該当し、かれこれ20年、この傾向は特に変わることがありません。理由を聞いてみたところ、大多数が、「だって、つまらないから」とのことで、気持ちとしては分からんでもない話です。進路先が理系に寄っているため、必然的にそのタイプが集まりやすいのかも知れませんが、あまり極端だと成績がガチャり過ぎて、後々厄介なことに。

 ただ、この「暗記学習嫌がり問題」については、

1:ただ面倒くさいからやりたくないだけ

2:どう頑張っても憶えられない

の2系統があり、指導側としては、どちらなのか見分ける必要があります。1の場合は半分は工夫(五感の長短を解析する等)、半分は気合でのカバーとなりますが、2の場合には、全く別系統の対策が必要になります。

 見分け方は比較的シンプルで、10分間の集中暗記時間を確保し、それで大筋憶えられる子は1、全くダメな場合は2です。

 1は、模試等で痛い目を見ないと変わらないことが多いです。CARPEでは、遊ぶときは全く勉強せずにダラダラに遊ぶ一方、気合いが入ると猛ダッシュかけるタイプが主流派で、「毎日丁寧にコツコツと」というタイプは少数派です。このタイプは数学や物理に強い一方で、化学は平均的、国語や英語、生物には弱い傾向があります。知識累積型の科目は、短期間での促成が効かないためです。

 が、利にはさといため、自身への利益・不利益を理解すると、大人しく勉強するようになります。よって、どこかの模試で大ダメージを受けるのが最も効果的です。私も色々工夫しましたが、結局は、社会様から殴られて痛い目に遭い、自分の論理が通用しない現実を見るのが一番だと判断しています。

 しかし2は、そうシンプルではありません。情報単体での記憶が致命的に苦手な子は一定数いて、ここで頭ごなしの精神論をぶつけても意味がありません。ある意味、器質的な問題ですから。

 そのため、この場合には、まず当人の話をゆっくり聞くことから始めます。憶えやすい分野・憶えにくい分野の確認からスタートし、当人の記憶の根拠を繰り返し確認します。好きで常時思考しているから記憶している場合もあれば、何らかの関連性で憶えている場合もあります。何にせよ、思考パターンが標準的なルートから外れているため、当人のやりやすい形式を模索するしかありません。時間はかかりますが、辛抱強く進めていれば、大体どこかしらにヒントはあるものです。

 ある程度制限はあるものの、英語については既に最低限の対処ルートがほぼ100%確立しており、化学についても大筋75%は対処可能です。逆に、対処が難しいのが国語で、現状では50%程度が現実的なところでしょうか。(生物については、この種のタイプで希望する子がいないため、判断がつきません。)

 教える側での能力差が出るのは、基本2のタイプに対するときで、この場合はより複数の意見を聞くようにしています。仮に経験が豊富だとしても、一人の講師の判断には限界がありますし、ときには、全く無関係な生徒側がより良い提案を出してくることもあります。因みに、昨年度はこれで目覚ましい成果を上げた子が一人いました。

 ワンパターンに気合処理するよりは、雑多な意見を組み合わせて進めた方が、教わる側も思考しますし、教える方も楽で一石二鳥。謙虚な姿勢で、今年も協力体制を作りたいものです。

 

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