不登校・引きこもりからの大学進学塾

引きこもりは本当に「優しい」のか?

 引きこもり支援関係者が頻繁に言う「引きこもりは優しい」というフレーズ。あれ、まず間違い無く嘘だと思う。

 優しい人間が、10年も20年も親に依存して、生活費だの遊び金だのを無心したりするかな? 小言言われて、40過ぎの人間が親に暴力振るったりするかな? 多少折り合いが悪くても、それなりの限度をわきまえて動くのが普通じゃないのかな? 

 親だって、60にもなったら子育て終えて第二の人生を楽しむ頃なのに、引きこもりの面倒を見るために、キツい仕事を続けてたりする。きっと、明るい老後の生活とかも夢見ていたはずなのに、怠惰な子供のせいで、それも夢物語になってしまっている。

 どう見ても、引きこもりは親の人生を潰してる。兄弟姉妹がいる場合は、彼等の人生にまで悪影響与えてる。親の死後は生活保護確定で、社会のお荷物にさえなっている。

 本当に優しかったら、自分の身を潰してでも仕事を探し、就職し、嫌な環境で苦しみながらでも、親を楽させてやろうと考えるだろうし、兄弟姉妹の負担になるまいと頑張るはず。その結果、無理して自殺してしまったとかだったら、確かに優しい人だったのかも知れない。残念だけど、社会のなかで生きていればあり得る話。

 優しい人間は、自分よりも他人を優先するし、それで実際に潰れてしまう。バランスの悪い行為で、馬鹿だとは思うけれど、決して悪くは言われない。逆に、周囲はそのバランスの悪さをサポートしてあげようと頑張り、その結果より良い環境が生まれたりする。

 だけど、実際に長期高齢引きこもりを見ると、そんな例にはまず出会わない。働かないのは当たり前、メシが出るのは当たり前、親が自分に貢ぐのも当たり前、自分の生存は当たり前。そんなのばかり。

 或いは、表層的には「申し訳なさそう」な雰囲気は出すけど、自分からは絶対に動かない。「怖い」だの「自信が無い」だの「失敗した」だの、弱者救済を求めるワードで身を固めて、「可哀想な自分」を演出し、結局は何もしない。

 引きこもりは優しい人間なんかじゃない。優しいフリをして他人を利用し、自分の生存を最優先に考える、卑しい人間だと思う。

 人間の思考は、確実に行動に出る。他者への誠意がある人間は、誠意も行動に出る。一時的に出なくても、時間が経てば必ず出てくる。

 となると、10年も20年も引きこもるような人間は、最初から自立なんて微塵も考えてもおらず、仮に親に負担をかけようが社会に依存しようが何しようが、自分の安寧だけを考えていたことになる。どうすれば、これを「優しい人」などと評価出来るのか、理解に苦しむ。

 CARPEでは自立なんて当然のことだし、周囲に来る不登校・引きこもり当事者も、同様の思考で行動している。行動から確かに「優しさ」が分かる子達で、それは自分も良く理解している。別に、特段優れたことでもないけど、基本がきちんと分かっている。

 10~20代を中心に、そんな子達の「優しさ」を普段から「行動で」見ているので、30代40代、酷いときは50過ぎても親に無心して、他人の人生を食い潰し続ける引きこもりの、どこに「優しさ」があるのか、どう考えても答が出ない。「卑しさ」「厚かましさ」の間違えではないのかな?

 「引きこもりは優しい」みたいに評価してしまう支援者は、ただ何も考えず保身だけで無難な発言をしているだけか、「優しい」という形容詞への考察が相当に甘いだけか、或いは、そう表現することで、自分に利益があることを知っている狡猾者なだけなのではないかな?

 引きこもり業界は、少々嘘が多すぎる。嘘つくほど金と名誉を得られるシステムが、この業界をどんどんおかしくしている。もっと本音がきちんと出て、本当の意味での「優しい引きこもり」が高く評価されるよう期待している。

“引きこもりは本当に「優しい」のか?” への1件のコメント

  1. 匿名 より:

    おっしゃる通りだと思います。全ての中高年ニートに読ませたいです。

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