不登校・引きこもりからの大学進学塾

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特殊な生き方をどこまで推奨するのか?

「不登校でも大丈夫」「引きこもりでもOK!」

その主張自体は間違ってないのですが、どこまでそれを認めるかは、全く別の問題だと思っています。

先日、昨年度在籍していた高校生の子が、無事に学校へ復帰出来たとの連絡がありました。大変良いことだと思いましたね。CARPE・FIDEMは、「学業面での最終的な滑り止め」を自認しており、学校へ戻れるならば、それを積極的に推奨しています。学校がbestとは言いませんが、総合的に見ればbetterであることは間違い無いからです。

とは言え、実際にはそれが難しかったり、学力的な面で、学校の教育レベルでは希望の大学に入れないこともあります。そのため、学校がどうしてもダメな場合には、積極的に受け入れるようにしています。

つまり、

「不登校でも構わないけど、学校という選択肢があるなら、それはそれできちんと考えるべき。どうしてもダメな場合だけ、他の方法を考えましょう」

という立場です。

 

ただ、現実に以下のような記事を出されると、ちょっと首を傾げてしまいます。

不登校は才能「全力で趣味に逃げて」人質事件で引きこもり 今井紀明さんのアドバイス

記事の要点は、

1:全力で趣味に逃げよう

2:あんまり焦らなくていい

3:不登校は才能の始まり

です。読んで頂ければ分かりますが、筆者の方は経歴的には非常に迷惑な存在だったかも知れませんが、内容自体は別に悪気があるわけでもなく、寧ろ誠意のある文章だと思います。

ただ、一点だけ留意しないといけないのが、「当人の能力」です。

確かに、本気で人生に悩み、挑み、戦っている子達は「全力で趣味に逃げよう」でも問題ないと思います。焦ること無く、全力で趣味に逃げていれば、確実にどこかで何か掴むかも知れませんし、才能を開花させることもあるでしょうし、自分なりの生き方を見つけ出す可能性も十分にあります。

しかし、それは「比較的賢く、考え癖のある」子達のケースであって、それ以外では恐らく成立しません。最初のうちは真剣に悩んでいても、しばらくすればダラダラ生活に慣れてしまい、結局は自堕落な生活に甘んじて何も成し遂げることなく、漫然と年齢だけ重ねることになります。寧ろ、後者の方が多いくらいでしょう。

私個人としては、筆者の方の意見に大きな反論はありません。実際、CARPE・FIDEMに来るような子達は賢い子も結構多いため、それでも何とかなることを知っているからです。

ただ、不登校や引きこもりの主流派は、そのような優秀な層ではありません。現行で存在する何十万人といる長期高齢引きこもりは非上位層で、より早い段階での訓練を積んでおかなくてはならなかった人々です。言い換えるなら、より早く動いていれば人生も大きく変わったものを、自堕落に生きているうちに、全て捨てざる得なくなった人達です。

賢い人や、資産がある人は別にどうでも良いのです。ちょっと工夫すれば何とかなりますし、対策も立てられます。しかし、賢くない人や、平均以下の資産しかない人達にとっては「時間」だけが最大の資産であり、その時間さえ無くしたら、どうにもならないのは明白な事実です。

 

今もあるかも知れませんが、

「〇〇〇〇(優しい話題)。ただし、イケメンに限る」

というフレーズが昔ありました。

「彼女なんて誰にでも出来るよ。ただしイケメンに限る」

のように使われて、最初で安心させておいて、後で掌返すアレです。

これと同様に、今回の話題も短期的には正しいですが、長期的には同じようなことになると思いますね。

「不登校は才能の始まりだよ! ただし有能に限る」

なんて形で。後でひっくり返されて馬鹿を見るのは、結局本人です。

私は、不登校でも引きこもりでも、全員が全員有能な人間だとは思っていません。普通程度の才能持ちが大半で、10%位賢い子がいて、本当に何も考えていない、どうしようもないのが10%~20%前後。今回の話題が通用するのは、その上位10%で、その他大多数に同じ事を期待するのは、かなり酷な気がします。断定的に聞こえて嫌かも知れませんが、大多数にはそんな才覚は無いのです。

個人的には、普通の人にほど下手な一発逆転狙うのではなく、毎日最低限のことを堅実に積み重ねることをお薦めしています。才能溢れる人達の目に見える素晴らしい才能だって、ほとんど全ては地道な日々の繰り返しで出来ているのです。いわんや常人をや、です。

自分だけが特別な才能持ちだなんて思うと、後で結局馬鹿を見ます。そこは最低限間違えないようにして欲しいですね。

 

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