不登校・引きこもりからの大学進学塾

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不登校・引きこもり雑感9

 コロナ不況、確定化してきました。秋口以降の動きが本格的に怖いですが、どうしようもないので、従容として受入れるしかありませんな・・・・・・。

 最近、医療系学部と理工系学部とで、進路先に悩むケースが増えてきました。本人的には理工系に関心あるけど、就職のこと考えて親御さんが医学部推奨するケースなんかは、昔からのあるあるネタですが、経済学部から情報系学部とか、農学部から工学部とか、不況に強い学部へのスライドが見て取れます。

 基本、不登校経験者は、手堅い資格ある業種でないと、大体後で路頭に迷います。迷わなくとも、生活水準はダダ下がります。もう何十年も続いてることなので、これは変わらんです。コミュ障の文系進学とか、ほぼ自殺行為。

 ただ、このコロナ不況の流れを読める子ばかりじゃないのが、頭の痛いところ・・・・・・。野生の勘とは言いませんが、今立ち止まって思考停止してるのって、普通にカンの悪いバカですからね。隠さず言いますけど。最低限、バカやってることは理解して貰わんと。こっちが協力したくとも、そこさえ分かってないと、どうにもならんです。

 それと、不登校・引きこもり関係者は、繊細さに価値見出す人多いですけど、これからはそんなものクソの足しにもなりませんよ。これまでもなってなかったですが、何となく「繊細さ大切」みたいな業界特有の雰囲気で許されてただけでね。40だ50だ過ぎの引きこもりおばさんとか見てみなさいな、繊細な自分に溺れた、薄っ気味悪いの沢山いますから。百聞は一見にしかず。

 ちょっと前、「労働者階級風情の自分が、教養だ何だなんて、烏滸がましいってことですよね。まず、金を手にするための技術が先決で」みたいなこと言ってた子いましたけど、本当にそう言うことよ? 金が無いのは、首がないのと同じ。自分の身もろくに維持出来ないのに、繊細もメンタル豆腐もない。助ける人達の余力も無くなり、「メンタル弱い? は? なら死ねば?」が段階的に近づいてきてるのに、まだ繊細云々言ってるのは流石に阿呆です。

 生きること考えたら、繊細さなんてチープなものは全放棄し、打たれ強さにパラメタ全振りする位の気持ちでいなさいってこと。生命を優先するのか、木っ端程度のこだわりを優先するのか、良く考えることですよ。

ワイン雑感4

 大変ありがたいことに、今の日本で質の良いワインを手に入れるのは、案外容易。その辺のコンビニでも、それなりの品質が確保されているし、スーパーの低価格帯ワインでも、デイリーユースなら困ることも全くありません。

 ただ、例えば1,000円程度のチリ産カベルネより明白に一段階上のものを、同じカベルネに絞って、本場ボルドーで見つけようとすると、ちょっと難しい。確かに、3,000円前後で当たることもあるけど、これはこれで賭け。失敗したときの心理的ダメージは結構大きい。

 となると、それなりに名の知れたモノを選ばざる得ないわけですが、そうなると、安くても10,000が最低ライン。ちょっと……ね。

 というわけで、品種を変えて楽しむ方が、結果的には安上がりになるわけで、「1ml/円」の私は珍しい品種探しに走るわけですが、最近のまずまずヒットが「アジロンダック」。山梨では、結構普通に見かけるものです。

 見た目一発で「甘いよ!」と自己主張する子供のようなワインですが、自分の飲んだ醸造所のものは、ベタベタな甘さはなく、風味程度。毎日飲むには飽きる気がするものの、定期的に欲しくなる分かりやすいテイストです。

 重苦しいワインが苦手な女性には結構お薦めで、自分の周囲の女性陣からも好意的評価でした。

 これからも、面白い品種が増えることに期待!

 

 

引きこもりの「介護してた」は本当か?

父の遺体放置に年金不正受給で逮捕、「引きこもり」58歳息子の複雑な胸中

 この記事とか分かりやすいかな。引きこもりが親の死を隠して年金を不正受給する場合、比較的多い言い訳が「介護してた」。

 まあ、ありがちな回答だけど、これ、引きこもり当事者のカモフラージュとしては、非常に賢いと思う。「親の介護なら仕方ないよね」という言い訳が立つし、多くの引きこもり当事者が求める「心優しい自分」像を演出出来るから。しかも、年金チョロまかしてても「心優しい自分」の印象があれば、裁判で情状酌量の余地が狙える。まさに一石二鳥な戦略。あっぱれですな。

 でも、要点はそこにはないし、別に記事の容疑者をコレで叩くつもりもない。大切なのは、「本当に介護してたのか?」ってこと。

 自分も、介護関係の実務やってる人達からよく話聞くけど、介護ってどこまでも人間対人間なので、本当にコミュ力必要な業界。現場は勿論だけど、ケアマネさんやら訪問介護のスタッフやらに加え、医療関係者との連携も必要で、円滑な介護が出来る人は、様々な意味で一定以上のレベルがある。日常的な買い物や、何かあったときのご近所付き合いもそうだけど、コミュ障で容易に捌けるものではない。

 そこで、「引きこもりが親の介護してた」とか聞くと、普通は二つのことが思いつく。

1:そもそも別に引きこもりではなく、生活様式がそれっぽいだけ
2:介護など嘘。何もしておらず、ただその場を誤魔化そうとしただけ

 どちらなのかは、すぐ分かる。介護保険に関与しているスタッフなど関係者に確認し、その「引きこもり」の日常の様子を聞いてみれば良い。実際に介護していた1のケースなら、誰かしらスタッフとの交流がある。しかし、2のような嘘つきの場合には、スタッフが誰もその引きこもりを認知していない。「そんな人いたっけ?」とか「いるのは知ってるけど、ほとんど見たことない」という反応が返ってくる。嘘つきは、すぐバレる。

 試しに、訪問介護とかの介護士さんに聞いてみると良いですよ。引きこもりは、まず介護の手伝いしませんし、手伝いどころか家事さえしない方が普通です。「親の介護してて」なんて引きこもりがいたら、まず先に疑ってかかるべき。

 改めて、上記記事の内容が真実なら、記事の息子は1のケース、つまり最低限の社会生活は維持出来るレベル。でないと、そもそも買い物も介護の連携も何も出来ないし、早々に父親も死亡していただろうから、最低限介護はしていたはず。(まあ、本音を言えば、11年母親死亡で父親が12年死亡だから、実際は、父親の介護なんてやってない可能性も結構高いですけど、それはまた別の機会に。)

 となると、要は「父親の死後、仕事をしたくなかった」というのが本音で、死亡した親の年金流用は、「仕事をしたくなかった」の結果でしょう。

 ここで問題なのは、最低限の社会生活は営んでいるのに、「仕事をしたくなかった」を理由に、年金の流用をする人間の姿勢。少なくとも、父親死亡の段階では、まだ子供は50になるかならないかの段階で、「高齢で求人ゼロ」などという状況ではない。2012年前後は、失業率は低下し、有効求人倍率は年々上昇していた時期なので、仕事が無いのでもない。単に「経験が乏しく、痛い目に合うことが分かっているから、やりたくなかった」が真実でしょう。

 「出来ない」と「やりたくない」は全く別。「やりたくない」を「出来ない」と表現する当事者は珍しくもないですが、「やりたくない」を認めると、社会が破綻する。誰だって、日々の仕事なんてやりたくないし、多少の我慢を踏まえて生きている。正直に言えば、自分だって仕事なんかしたくない。でも、そこは「義務」として認識している。

 結局、この息子は「やりたくない」というワガママを突き通した結果、詐欺に繋がったわけだけど、それはそれで自業自得。表層だけ読めば、「父親の介護を献身的に行い、社会性を喪失した可哀そうな弱者」。しかし、そもそもこの息子の場合、青年期から仕事やりたくなくて、実際やってこなかった現実があるわけで、この記事のように、キリギリスに肩入れするのはどうかと思いますな。裁判は騙し合いの世界かも知れないけど、 少しは背後を読めよ、と。まあ、 メディアは書く書かないを自由に選べますから、背後を読んだ上で書かないだけかも知れませんけどね。

 親の年金の不正受給は、どうせこれからどんどん増えます。この記事の筆者なんかは当事者側の主張に立って論じているし、引きこもり保護を述べたいんだろうけど、結局は不正の片棒担いでるだけ。コロナで社会の余裕が無くなっているなか、更に一般人の負担を増やす行為を「当事者に配慮して」の一言でチョロまかすのは、メディア関係者としてどうなのか。社会全体の利益をよく考えて、執筆して欲しいところです。

不登校・引きこもりと母子・父子家庭

 たまに、「母子家庭だから、子供が引きこもるとかありますか?」のような質問が来るけど、個人的にはあまり関係ないような気がする。

 特に不登校は、本人がどうとか、環境が云々とか関係なしに、どんな家庭でもアトランダムに発生する。本当に平和で、のほほんとしていたところに、降って湧いたように問題が発生したりする。母子家庭とか父子家庭とかは、特に関係ない。

 その後の対処に差が出ることはある。両親揃っている場合は2馬力なので、色々動きやすいし、情報収集もしやすい。対処の初期段階は、両親揃っている方が何かと有利。

 ただ、「結局どのように対処するか?」の部分では、また別の差が出る。何と言うか、家庭の生き方に対する運営指針で差が出る。

 長期高齢引きこもりとか見てると、「本当にこの人達、判断力どうなってんの?」と言いたくなるような家庭が結構ある。子供が引きこもり(特に障害とかはない)で、20年以上もカウンセリングという名の家庭相談続けてる家庭なんか分かりやすい。もう軽く2000万とか、そのカウンセリングに出してる。保険も効かない。

 普通なら、それだけ時間と資金があれば、CARPEでは医学部等の専門系学部や理工系の就職しやすい学部出て、普通に仕事してる。2000万も要らないし、20年も要らない。それなりにやる気があって多少頭も回るなら、一年か二年そこらで、金額的にも100~300万がせいぜい。と言うかそれが普通で、別に変なことでもない。

 ただ、判断力が弱いのか、何の成果も出てないカウンセリングを惰性で延々続けている。こうなると、親が揃ってるかどうかなんてどうでも良くて、ただ頭の強さの問題だとしか思えない。

 ここまで酷くなくても、似たようなところは結構ある。基本、短期の引きこもりならどこでも発生し得るし、家庭に問題があるとは限らないけど、長期引きこもりを抱える家庭は、大体判断力のどこかに致命的なおかしさがある。

 母子家庭・父子家庭でも、結局親の判断が優れていれば、最後は元に戻る。優れているとは、

1:家庭からの援助には限界がある
2:経済的自立は絶対であり、例外はない
3:家にいつまでもいることは認めない

みたいな話を平素から子供にしていて、子の自立を促している点。このような基本中の基本が出来ていない家庭は、大体どこもダメっぽい。

 母子家庭・父子家庭は、今では別に珍しいものでもなく、ありふれたこと。個人的には、それ自体に何か思うことはない。ただ、判断力の優劣は、そんな親が揃ってるかどうかとは無関係で、優れているものは優れているし、劣っているものは劣っている。両親共に依存癖のある家庭より、単親世帯でも、自立意識の強い家庭の方がずっと改善率は良い。

 母子家庭や父子家庭であることを悩む必要はなくて、「自分の足で立ち、社会の中で生きる覚悟を伝えているかどうか」そして「自立までの具体的な道筋を歩ませているかどうか」が一番大きいと思う。

 勿論、お金の問題やらなんやらあるので、出来ないこともあるのは認めるにしても、母子家庭だから不登校から抜けられないとか、父子家庭だから引きこもりが続くなんてことはない。要点を外さないようにご注意を。

引きこもりは本当に「優しい」のか?

 引きこもり支援関係者が頻繁に言う「引きこもりは優しい」というフレーズ。あれ、まず間違い無く嘘だと思う。

 優しい人間が、10年も20年も親に依存して、生活費だの遊び金だのを無心したりするかな? 小言言われて、40過ぎの人間が親に暴力振るったりするかな? 多少折り合いが悪くても、それなりの限度をわきまえて動くのが普通じゃないのかな? 

 親だって、60にもなったら子育て終えて第二の人生を楽しむ頃なのに、引きこもりの面倒を見るために、キツい仕事を続けてたりする。きっと、明るい老後の生活とかも夢見ていたはずなのに、怠惰な子供のせいで、それも夢物語になってしまっている。

 どう見ても、引きこもりは親の人生を潰してる。兄弟姉妹がいる場合は、彼等の人生にまで悪影響与えてる。親の死後は生活保護確定で、社会のお荷物にさえなっている。

 本当に優しかったら、自分の身を潰してでも仕事を探し、就職し、嫌な環境で苦しみながらでも、親を楽させてやろうと考えるだろうし、兄弟姉妹の負担になるまいと頑張るはず。その結果、無理して自殺してしまったとかだったら、確かに優しい人だったのかも知れない。残念だけど、社会のなかで生きていればあり得る話。

 優しい人間は、自分よりも他人を優先するし、それで実際に潰れてしまう。バランスの悪い行為で、馬鹿だとは思うけれど、決して悪くは言われない。逆に、周囲はそのバランスの悪さをサポートしてあげようと頑張り、その結果より良い環境が生まれたりする。

 だけど、実際に長期高齢引きこもりを見ると、そんな例にはまず出会わない。働かないのは当たり前、メシが出るのは当たり前、親が自分に貢ぐのも当たり前、自分の生存は当たり前。そんなのばかり。

 或いは、表層的には「申し訳なさそう」な雰囲気は出すけど、自分からは絶対に動かない。「怖い」だの「自信が無い」だの「失敗した」だの、弱者救済を求めるワードで身を固めて、「可哀想な自分」を演出し、結局は何もしない。

 引きこもりは優しい人間なんかじゃない。優しいフリをして他人を利用し、自分の生存を最優先に考える、卑しい人間だと思う。

 人間の思考は、確実に行動に出る。他者への誠意がある人間は、誠意も行動に出る。一時的に出なくても、時間が経てば必ず出てくる。

 となると、10年も20年も引きこもるような人間は、最初から自立なんて微塵も考えてもおらず、仮に親に負担をかけようが社会に依存しようが何しようが、自分の安寧だけを考えていたことになる。どうすれば、これを「優しい人」などと評価出来るのか、理解に苦しむ。

 CARPEでは自立なんて当然のことだし、周囲に来る不登校・引きこもり当事者も、同様の思考で行動している。行動から確かに「優しさ」が分かる子達で、それは自分も良く理解している。別に、特段優れたことでもないけど、基本がきちんと分かっている。

 10~20代を中心に、そんな子達の「優しさ」を普段から「行動で」見ているので、30代40代、酷いときは50過ぎても親に無心して、他人の人生を食い潰し続ける引きこもりの、どこに「優しさ」があるのか、どう考えても答が出ない。「卑しさ」「厚かましさ」の間違えではないのかな?

 「引きこもりは優しい」みたいに評価してしまう支援者は、ただ何も考えず保身だけで無難な発言をしているだけか、「優しい」という形容詞への考察が相当に甘いだけか、或いは、そう表現することで、自分に利益があることを知っている狡猾者なだけなのではないかな?

 引きこもり業界は、少々嘘が多すぎる。嘘つくほど金と名誉を得られるシステムが、この業界をどんどんおかしくしている。もっと本音がきちんと出て、本当の意味での「優しい引きこもり」が高く評価されるよう期待している。

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