不登校・引きこもりからの大学進学塾

卒業生イナゴがやって来るだ! おめら、酒さ隠せ!!

「おい大村! 酒をおごれ!」

「はっ! ただいまお待ち致します!!」

「おい! ツマミ足らねえぞ!」

「失礼致しました!」

「卒業生様に対する配慮がなってないんじゃないのあ~ん?」

「ははっ! 精進致します!!」

という程ではありませんが、今週末、卒業生が全国津々浦々から帰って来ます。今回は情報系学部に工学部建築学科、医学部医学科に医学部保健学科まで色々です。経済学部の子も来られそうかな? タイミング合えば、医学部医学科が後三人揃いますが、医学部は忙しいので、別の機会に医学部だけまとめて実施となるかも知れません。今年度からCARPEFIDEMのアメニティルームは品質が向上し、ピアノ等の楽器に加えてカラオケも導入致しましたので、折角ですからそこを使うことにしましょうか。

 因みに、今回の名目ですが、パイセン君が大学企画のとある県内コンクールで最優秀賞を受賞したことをネタにしました。学内の最優秀賞と言えば、確かコレでいいじゃん君が三年ほど前の学部生時代に賞金ゲットしたとき以来でしょうか?(そう言えば、彼ももう大学院卒業ですな。良い研究者or先生になってくれることを期待しておりまっせ?)いや、めでたいことです。でも、ニュースの記事でもドヤ顔するのはどうかと思うよ?

 と言うわけでパイセン君には、今回の卒業生交流会の挨拶をして貰いましょうかね。関係者の皆様、パイセンのいつものドヤ顔に、乞うご期待!

CARPE・FIDEM合宿用車両が更新されました!

シャア専用とか何とか散々煽られに煽られ、

「三倍速で走れよ!」

とか、

「ツノが無いよ? 折れちゃったの?」

とか何とかボコボコにされた赤いミニバンが、この度更新されました。プレサージュ君、長い間本当にご苦労様でした。ありがとうございました。

本当はもう少し頑張りたいところだったのですが、最大乗員と積載量の関係で、この度八人乗りのミニバンに変更。これで、千葉や山梨に行くのも楽になりました。やったね!

と言うわけで、新しいお友達のエルグランド君です。皆様、仲良くしてあげて下さい。

教育業界は、結局のところドブ板産業である

業界は違うのですが、面白い記事が一つ。

「ウォルマートの西友売却に見る外資チェーンの勘違い」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180820-00001027-shogyokai-bus_all

ウォルマート傘下の西友の店舗をいくつか見て、

「何かこの店気持ち悪いな・・・・・・」

と感じたのは十年以上前のことだったと思いますが、どうもそのフィーリングは正しかったようです。

店舗は大きいのに、何故か空虚で多様性の無い無機質な商品群に、生気を失った店員。当時は私も理由が分かりませんでしたが、なるほど、そういうことでしたか。

記事内の「小売業はローカルなもの」にもありましたが、結局のところ、生産性の高いトップダウン式の「1×n」モデルが通用する領域というのは、所謂エリート層が思うほどには広くなく、仮に広かったにしても、最終的に顧客に行き着くところの「ラストワンマイル」については、地味に人間臭い「n×n」という生産性の低いドブ板作業が待っている訳で、これを認識しなかった机上経営者の失策ということになるのでしょう。

 

アメリカでは、大学教育費用の高騰が大きな問題となっており、しばしば槍玉に挙がりますが、そもそも教育業界は単位労働者当たりの生産性は低いものです。理由は単純。学生の指導は「面倒」だから。個別に異なる事情を読み取り、問題を洗い出し、解決策を随時提示する。学業だけならまだしも、家庭問題に友人問題、場合によっては恋愛問題まで、解の無い話が延々続くわけです。生産性なんか上がるはずがない。真面目にやればやるだけ生産性が下がる、気の毒な業界です。まして、不登校や引きこもりなんて問題山積で生産性もダダ下がり。上がる要素の方が珍しい。

と言うわけで、教育業界で生産性を上げるために業界関係者が出来ることは、

1:授業料を上げる

2:学生の指導をいい加減にする

3:政府に働きかけて、補助金を出させる

の実質3つしかありません。

2は論外として、3を言うような劣化社会主義者は、もう今の時代には不要です。そんな暇があったら、黙って現場で働けと。日教組でもあるまいに。

となると、結局は1しかない。後は、卒後の期待値に望みを託してどこまで許容されるかの摺り合わせであり、アメリカの大学経営は、その点で過渡期に来ているのでしょう。テスラの混乱を見るに、アメリカのエリート教育も必ずしも期待出来るとは限らない部分も見え隠れしてきましたが、「現場百遍」の意味が分かるまでこの混乱も続くと思います。

アメリカの教育現場の混乱はこの当然の結果とも言えるのですが、そもそも生産性なんて期待出来ないものと考え直すのも一興かと思います。期待値も下げて、もう一度皆で貧乏教員と貧乏学生に帰ってみたりしてね。

 

「患者さんには、来たときよりも、幸せな気持ちで帰って貰う」

開業医をしている父親の口癖ですが、同じくドブ板業界にいる者からすれば、蓋し至言ですな。ドブ板を踏み抜き続けた結果が、ここには集約されています。

「お前、そんな儲からないこと、よくやるよな。もっとドンドン人任せにして、管理だけして楽しろよ。馬鹿じゃねえのか?」

高校時代の親友に、よく言われた話です。

「まあ、俺は実際頭悪いからな。ドブ板踏むような仕事しか出来ないんだ。無能な人間の辛いところだよ、君」

 

そんなドブ板続きの私も、部分的に人任せが必要になってきました。嫌な話ですが、これはこれで仕方の無いことなのかも知れません。しかし、私の仕事の根幹はドブにこそあると思いますし、ドブから離れて、小綺麗なオフィスで命令と判断だけを行う仕事も退屈なことでしょう。第一、それではウォルマートと同じことになってしまいます。

楽をしようという気持ちが首をもたげるとき、西友の無機質な店舗が、ふと頭をよぎります。

ヤケクソで応用クラスの合宿をします。

山梨や千葉の設備は、元々合宿前提の環境なのですが、CARPE・FIDEMには本部教室にも宿泊出来る環境があり、たまに自習や飲み会で終電逃した子が泊まったりします。

で、台風で電車も「止まる」ことが確定しているようなので、

「どうせ帰れないんだったら、授業休みにするんじゃなくて、泊まりがけの合宿しない?」

との意見を受け、急遽応用クラスの合宿を実施することになりました。

微積分学は大筋進度に問題無さそうですし、内容はどうにも本番で嫌がられる「整数」に。高レベルなものも含めてひたすら三日間整数ばかりやります。これは中々に死ねるな、ウン。

そう言えば、前回の駿台全国模試でも、既に理系科目は東大と医学部合格レベルなのに、英語だけポシャった人が何人かいましたし、英語もやりましょうかね。既に神戸大の読解は実施中ですが、もう一段階上げたいところです。判定模試も近いしね。

何と言うか、今年の応用クラスは理数は強いのに、文系科目に手を抜く子が多い気がします。基本的に、受験上位層は「文理問わず出来て当然」みたいな風潮ありますので、文系科目も侮らないように気をつけたいですね。

何かを背負わないと、人は成長しない

今でも工夫はしていますが、私は人の優れた部分を見つけると、可能な限り自分の才として取り入れることにしています。もっとも、私の能力には限界がありますので、実際にどの程度まで実行出来ているかは不明ですが、少なくとも、日々そのつもりではいます。

引きこもりや不登校とは関係ありませんが、30歳を前にしたときに、たまたま2人の旧友と出会ったことがあります。片方は結婚し、子供が二人いるお父さんで、既に家も買っていました、片方は未婚で、恋愛経験も無く、実家暮らしでした。学生時代には何ら差を感じなかった二人でしたが、30を迎えた両者の考え、立ち振る舞い、展望、現状認識には明白な差があり、後者が優れている要素は、何一つとして存在しませんでした。

見えない何かが最初から違っていて、それが加齢と共に具体的な差異として表面化したのか、或いは、偶然による行動の違いが、等しかった両者の考えを根本から変えたのか、因果は定かではありませんが、優劣については誰の目にも明らかなものがありました。

不登校や引きこもりでも優れた才覚を示す人物は確実に存在しますが、それはほぼ全て若年期にのみ認められるもので、長期高齢引きこもりで優れた才覚を残した人物には不思議なほど出会いません。

優れた人間は先に引きこもりから抜けてしまい、澱(おり)のような存在だけが残るからそう感じるのか、或いはどんなに優れた才覚も、引きこもりという期間がその才覚を押し潰すに十分過ぎる時間なのか、こちらも定かではありませんが、優劣については誰の目にも明らかなものがあります。

ただ、

「何かを背負っている人間程、人間としての成熟度が高く、背負われている人間程、人間としての成熟度が低いこと」

だけは十分に分かっています。

優れた人物ほど「背負う」ことに積極的で、劣った人物ほど、「背負われる」ことに終始します。自立を意識して日々努力している若年層引きこもり等が前者で、生活保護やベーシックインカムの話ばかりする長期高齢引きこもり等が後者の具体例と言えますが、恐らく、この点は誰が見ても同様に判断するでしょう。

とは言え、上記事実は、私自身にとっての戒めでもあります。幸か不幸か、今の私は総合的に見て非常に安定化し、特に大きな不自由もなく生活が出来、環境も恵まれていて、時間不足を除けば日常に対し何一つとして不満がありません。それが逆に、次に抱えるべき「大きな何か」を忘れさせています。これは大変愚かしいことで、程度の低さから言えば自立を拒否する引きこもりと何ら変わりありません。

どのような立場にいようと、成長は何かを背負うことで生まれるのは事実でしょう。今抱えている何かが軽く感じるようになったのなら、次の背負うべき何かを探しに行くのが、本来のあり方なのかも知れません。そして何を背負うかで、人そのものが大きく分岐する現実もまた、生きる上での妙味と考えます。

お盆休みを控えお墓参りの季節になりましたが、一年の成長も反省も含め謙虚な姿勢で、今は亡きご先祖様方に報告したいと思います。

 

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