不登校・引きこもりからの大学進学塾

不登校・引きこもりで大人になった後のこと

「いや、違うんだ。今はもう、そういう状況じゃないんだ」

と言いたい記事が一つ

「明日の学校はムリかも」と迷っている人へ 中学3年生を丸ごと休んで得られた6つの結論」

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiishiko/20180902-00095018/

先に断っておきますが、私はこの筆者の方を毛嫌いしているわけでも、喧嘩を売りたいわけでもなく、ただ実直に、現実的要求の論点がズレ始めていることを語っておきたい訳で、その点はご承知おき下さい。

文章の内容はシンプルで、

○学校行かなくても、通信制高校とか大学とか、選択肢はたくさんあるから大丈夫。

○不登校でも、その後は仕事もあるし、普通の日常が待っているから大丈夫。

○周囲の大人達は、彼等のSOSに気付いて、相談窓口も利用しながら、命の確保を。

です。内容自体に全く嘘はなく、何一つとして否定する要因はありません。ごもっともです。

ただ、ここには決定的に足らない要素があります。記事を読んで、私も、

「ああ、やっぱりまだこの状況で止まっているんだな……」

と言わざる得ない隠れた問題点、即ち、

「結局、不登校経験者は、どのような社会人になっているのか?」

というテーマです。これは十年以上前からあり、未だにまともな解がない、厳密に言えば解はあっても、不登校経験者には都合の悪い解で、誰もが表面に出したがらない話題です。

状況を分かりやすく説明するため、かなり刺激的な話題ですが具体例を上げておきます。ここには特定の支援者を批判する意図があるわけではなく、純粋に不登校経験者の子達(解析能力に長けた子達)が、どのように支援者側を見ているのか、端的に示しているものだとご理解下さい。尚、対話で出てくる子は、今は医学部に在籍しているCARPE・FIDEMの卒業生です。

 

E「そう言えば、前に言ってた、居場所的なところはどうだい?」

卒「ああ、あそこはもう行ってないですよ。二、三回顔出しただけなんで」

E「何でまた? 慣れるまでは通ってればいいじゃない?」

卒「いや、いいっす。何か、いたたまれなくなるんで」

E「??? いたたまれないって?」

卒「いる人達が、ちょっと。自分が文句言えた話じゃないですけど……」

E「良く分からんな」

卒「言い方悪いけど、『この人達、大丈夫なのかな?』って。自分、学校辞めて、母親に言われてアチコチ行ってみたけど、大体どこも優しいんですよ。『大丈夫だよ、とか、心配ないよ』とか」

E「別にそれはええんでね?」

卒「まあ、そうなんですけど。でも、そこの主催者とか、ボランティアしている人とかの経歴とか、今の年齢とか、やってることとか聞くと、何か……」

E「???」

卒「言い方悪いけど、レベル低いんですよ。『大丈夫』って励ましてくれるのは嬉しいんだけど、その『大丈夫』って何? 死ななかったから大丈夫なのか、家から出られてるから大丈夫なのか……。ただ、自分が欲しい『大丈夫』って、そんなレベルじゃないんですよ」

E「ああ、そういうことね」

卒「元不登校の人とかがスタッフでいるんですけど、『仕事してないからボランティアで』とか、30歳過ぎで中卒社会経験無しとか、学歴が最高でもマーチで、しかも就活失敗とか……。自分達の体験談語るのは良いんですけど、それ全然参考にならないし。自分の失敗談聞けば、相手が安心するとでも思ってるんですかね?」

E「そこは君が批判すべき点ではないな。彼等だって、それなりの苦労はあるんだから」

卒「分かってますよ。でも、そんな人達に『大丈夫』とか言われて、Ecoさんは納得しますか? Ecoさんは経済力凄いから何とも思わないかも知れないけど、自分何も無いんですよ? 昔の高校の同期とか、今頃医学部とか東大とか早慶とか行ってて、社会でめっちゃ活躍すること分かってるんですよ。そこを、『大丈夫だよ。心配ないよ』とか言われても、こっちからすれば『あんたらの方が大丈夫じゃないだろ? 人生設計どうなってんの? 自分達が底辺化しつつあるのに、俺達現不登校の世話して悦に浸ってるだけで、自分達の問題二の次にして、大丈夫とか言ってんなよ』とか思う」

E「……」

卒「不登校とか陥ったら、結局どこかで元のルートに戻らないと、底辺でワープア確定じゃないですか? ネットで調べりゃ、そんなのすぐ分かるじゃないですか? 無教育で他より遅れてて、それでもまともな仕事あるなんて、誰が信じるんですか? 不登校じゃなくても、浪人と留年あるだけで就活に響くのに、何甘いこと言ってんの? あんた年収いくら? 社会保障どうなってんの? 厚生年金はあるの? 退職金は?」

E「気持ちは分かるが、外では言うなよ、そういうこと。僕がいつか言っとくから」

卒「それ位の分別はあります。あそこも『ありがとうございました』って言って出てきました。顔には出てたかも知れませんけど。自分、顔に出やすいんで」

E「君は賢いから、先が見えるんだろうさ。だが、人には言うな。分かっている人達だけで話せば良い」

 

内容が内容なので憚られますが、私は彼の意見は真っ当なものだと思っています。記事にも、

>2000円もするパフェが食べられたり

とありますが、今彼等が欲しているのは、そんな定性的な些末な話ではなく、不登校でどの程度の遅延があると、大体どの程度の学歴と就職状況で、どの程度の所得と社会保障が得られて、という定量化された現実です。完璧でなくても構いませんので、目安だけでも。せめて「30代で2,000万円台の家を建てました」なら、社会情勢を考えても、まだ安心を呼ぶでしょう。しかし、齢35になる不登校先輩が、後輩に語る「安心」の根底で「パフェ」を持ってくるようでは、逆に疑惑の温床になります。わざわざ記事にしてまで語る内容がその程度では、それ以上の誇れるものが無いかのような印象を受けてしまいます。不登校の子達は10代で子供のカテゴリに入るかも知れませんが、パフェ云々で通じる年ではありません。彼らは馬鹿でも阿呆でもなく、かなりシビアに社会を見ています。

また、

> さらに高校からは通信制高校というものがあり、月に1度から2度の登校で卒業できる学校もあります。試験だけを受けて「高校卒業」と同程度の資格が得られる制度もあります。大学も通信制大学が全国で43校もあり、いわゆるテスト競争をする「大学受験」はナシで入学できます。

とありますが、実際の実績を見れば分かる通り、通信制高校や通信制大学の卒後の就職先は、決して褒められたものではありません。第一、ロクにテストもせずに入れる教育機関に、どの程度の人間が集まるのか、容易に推察がつくではありませんか? 就職時に、採用側はどう判断するのでしょうか? 早慶や明治・立教・青山のような大学付属校ですら、就職時には付属上がりかどうかが人事側で話題になるのに、資格が同等だから「試験無しでラッキー」等という判断が通用するのでしょうか?

「道があるから大丈夫」と言いっ放しにするのではなく、本当にその道が大丈夫なのかどうか検証し、現実に先に繋がる道を提示するのが先人の義務でしょう。それこそ、万葉の昔から「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」の基本中の基本が、洋の東西を問わず語られている中で、流石にこれは浅慮に映ります。CARPE・FIDEMには、小学校から学校へ通っておらず、将来性を考えて医学部へ進学した子もいましたが、この子も、高校生の年齢から「社会情勢に対する考察の甘さは、結局自身の死に繋がる」と判断して学習を続けていました。見ている子は、先人達の無知さえ正確に見抜いているのです。

しかし、その辺が今の支援者側には見えていない。逆に、具体性のない立ち位置から出てくる安易な「大丈夫」が故に、かえって疑惑を生む結果になっています。

はっきり分かっているのは、今の日本で明確に階層化が進んでいる点です。昔は何となく適当でも大丈夫だった(ように見えた)かも知れませんが、今は大筋10~20代までの経歴で30代以降の流れはほぼ決まります。変えたくても、変えるルートもありませんし、変えるだけの能力を養成することが難しい。それ故、若年期の一年は大変な価値があり、頭の働く子はその点に危機感を抱いている。逆に、頭の働かない子は、後からその事実に気付くものの、気付いたときには手遅れである。

昔の不登校経験者が今は支援する側になっていて、彼等は牧歌的に「大丈夫」と優しく語りかけるのでしょう。しかし、そんな行為も段階的に意味を持たなくなってきています。本当に大丈夫だと言うなら、自分達の経済状況も含め体系化されたデータを開示する位の方が、より説得力があります。しかし、誰もそれをきちんと出さない。出したにしても、どうにも不安定さが残る立ち位置ばかり。何故なのか?

結局、不登校・引きこもりは、社会参画に不利にしか働かないということです。有利にするには、手段は二つだけ。

○何らかの教育ルートに極力早く戻る。

○何らかの分野で、自分の特技を活かして事業を始める

この程度です。しかし、後者は極めてハードルが高い。5年維持が25%、10年維持では10%しか残りません。しかも、私が見てきた不登校関係者の自営展開は、国や自治体からの補助金頼みのものが多く(NPO主体等)、気付いたら無くなっているケースも何度も見ています。NEET株式会社なんて洒落もあり、早々に潰れていましたが、不登校・引きこもりの依存体質が、ここでも問題となっていました。

元々自営業展開は成功率が低いため、一般論的には前者しか道がない。それ以外のルートを取れば、余程の幸運が無い限り、常時人並み以下の不安定さを抱えて生きることになる。詰るところ、結局は元の学校でなかったにしても、環境を変えて何らかの教育ルートに戻った方が楽ということです。それも、遅延の分だけ一段階上に上げて。

以前にも話しましたが、自殺防止の意味でのワンストップ戦略として、優しい「大丈夫」の価値は認めます。しかし、それにしては、「大丈夫」と語りかける方の側が本当に大丈夫なのかどうか疑わしく、場合によっては、「不登校先輩」そのものの生き方の善し悪しが、後輩側から問われているとも言えます。

私個人としては、「大丈夫」という言葉を語る側は、それなりの覚悟を持って語るべきだと思っています。でないと、その言葉の意味も価値も薄れ、未来のどこかで泥沼化します。「全然大丈夫じゃなかったじゃねえか!」と後輩達に言われたら、不登校先輩達は、一体何と返すつもりなのでしょうか?

少なくとも、以前私が調べた限りでは、不登校から通信制高校等を経由して社会に出た子達(つまりは、不登校の中でも中位層の群)の大半は、「まとも」とはほど遠い職場環境で仕事をしています。良くて零細中小企業の正社員(10~20%)、大半は単純労働系の派遣か契約社員(50%前後)で、アルバイト(30%前後)も普通。どれも、社会保障が脆弱で昇給もほとんど無く、待遇は中央値以下。不況期の首切りに怯えながら生きるだけで、専門職に関連する業種はまず見ません。それ以上の階層に上がっているのは、ほぼ全て中位以上の大学進学へした学生のみで、他はかなり控えめに書いても「転落人生」です。

少ない給与、乏しい社会保障、成長の無い日々。それが本当に「大丈夫」なのか? 上記のような単純労働は、既に外国人労働者に置き換わっており、日本人が行う必要性はありません。都内にいれば、コンビニの店員に外国人が多いことに驚かされるではありませんか? 先進国日本で生きる以上、ある線引きを越えた立ち位置に就くのは、いまや生存上の義務になりつつあります。目先の死を恐れるあまり当座の誤魔化しだけに終始し、別のタイミングでまた別の死、それも完全に改善策を失った上での死を叩き付けることになるのだとしたら、一体何のための支援なのか?

不登校経験者は、概して他人に甘いですが、同時に自分にも甘くなりがちで、結果、今回のような後輩からの突き上げを食らうことになります。何となくナアナアで、何となく優しくしていればそれで良しとされていた時代は既に過ぎ去っており、それ以上の具体策が求められる時期に差し掛かっていると考えます。

今回の文章の筆者の方は82年生まれで、私と同い年のようです。同じ社会を見て、同じ社会で生きてきた者として、より現実的な視点で後輩を導いてくれることを期待し、メディア関係者としての義務を果たして欲しいと強く願います。

“不登校・引きこもりで大人になった後のこと” への8件のフィードバック

  1. サスライの天才長期高齢当事者 より:

    まあそれはなにも考えずに何年も引きこもってればどうにもならなくなるのは当たり前の話じゃないですか。学歴の云々の話は中卒の僕にはよくわからないのですが、誰だってやればできると思いますよ。

    大村さんは「勉強しないと大変な事になる」って言われて育ってきた年代だから考え方が片寄るんでしょうけど。ゆとり世代の僕からすると、別にアルバイトでもいいと思いますよ。例えば僕と同い年(24歳)の友人にアルバイトだけで700万の貯金を作って、趣味仲間やバイト仲間とたのしそうに生活してる人がいますが、毎月一定額貯金しとくのと、健康に気を使うってことをしっかりやっていれば別に問題ないと思いますね。バイトは社会保険にも入れますからね。でも、正社員が悪いわけじゃないです。なれるならそれに越したことはないです。でも選択肢を狭める必要もないってことですね。そこはいい意味での多様化ですよ。

    昨日暇だったのでここのコラムも初めて読んだんですが、勢い余って全部読んでしまいました。まあ言い方の悪いところは多いけど言ってることはそれなりに妥当なんじゃないですかね。でも、言い方が悪いのは致命的ですね。もっと、「どうやったら相手に伝わるか」という視点で書いたほうがいいと思いますけどね。そうすれば余計な批判は減るんじゃないすっか。

     でも本当のことを言うのは誰にでもできますが、本当に「良い伝え方をする」というのは優れた人にしかできないのかもしれません。まあ今は無能でも努力次第でできるようになると思いますよ!

    頑張ってください!応援しています!

     ところで僕はニートに逆戻りしてしまったのだよ。でも、これで終わりだとは思ってないからな。

     必ず力をつけて社会で活躍する人間になってみせる!

    • CARPE・FIDEM より:

      >サスライさん
       
       やあ、お久しぶりです。大村です。お元気でしたか?
       
      >まあそれはなにも考えずに何年も引きこもってればどうにもならなくなるのは当たり前の話じゃないですか。
       
       そうなんですな。
       
      >学歴の云々の話は中卒の僕にはよくわからないのですが、誰だってやればできると思いますよ。
       
       自分もそう思います。だから、やったかやらないかの差が大きいんです。
       
      >大村さんは「勉強しないと大変な事になる」って言われて育ってきた年代だから考え方が片寄るんでしょうけど。
       
       いや、それがそうでもなくて、自分のときから終身雇用とか年功序列とかかなり危なかったんですよ。「良い学校・良い大学・良い会社・良い人生とか、嘘くさくね?」の第二世代(?)です。なので、私も機械的に「勉強しないと大変なことに!」とか言ってるんじゃなくて、かなり現実に根ざした実体験があるんです。と言っても、伝わりにくいかも知れませんが。
       
      >ゆとり世代の僕からすると、別にアルバイトでもいいと思いますよ。例えば僕と同い年(24歳)の友人にアルバイトだけで700万の貯金を作って、趣味仲間やバイト仲間とたのしそうに生活してる人がいますが、
       
       貯蓄も愉しい生活も大変素晴らしいことで、是非続けて欲しいのですが、実は同じような現象は、90年前後のバブル期に既にあったんですよ。当時は景気が良かったので、給与水準も、今の体感からすると倍位に感じたんじゃないですかね? 所謂「フリーター」の第1世代です。
       
      「俺は気が向いたときにだけ仕事する!」
       
      のようなムーブメントが一時期流行りまして、「会社に縛られないオレかっこいい!」みたいな。マスコミなんかも、それを散々持ち上げて、今風の若者をやたらヨイショするんですよ。リクルートの「かーかきんきん かーきんきん」とか、見たことないかも知れんですけど。
       
       が、それが最後にどうなったかというと、バブル崩壊と同時に総崩れになって、仕事はない、給料も下がるで、踏んだり蹴ったりで。所属も無いから社会保障も無い。どんどん賃金が下がる中、その後も日雇いみたいなことを続けて高齢化した人達が発生しましてな。マスコミも、そんな彼等を急に落ちこぼれ扱いするわけです。「若いうちから努力をサボったクズ共!」みたいにね。手のひらクリンクリンですよ、マジで。
       
       今の日本はかなり緩やかな長期好景気ですから、それと近い状態が発生しています。確かに今は良く見えるかも知れませんが、それは好景気に依存した話なだけで、今は良くとも、それが続く道理はどこにも無いわけです。つい20~30年前にも、同じことがあったのですわ。因みに、景気循環は資本主義の宿痾みたいなものなので、回避はほぼ不可能です。
       
       目先のマネーだけ言うなら、特にフリーターでも良いかも知れませんが、景気循環と未来のマネーに弱いのが、フリーターの弱点なんですな。
       
      >毎月一定額貯金しとくのと、健康に気を使うってことをしっかりやっていれば別に問題ないと思いますね。
       
       それは本当にその通り。どの立場にいても、100%正しいと思います。
       
      >バイトは社会保険にも入れますからね。
       
       これはちょっと気をつけて下さい。健康保険と厚生年金の話かも知れませんが、中小企業になると、結構杜撰ところ多いですよ。ルール破って、国民健康保険にさせたり、厚生年金加入してないとか、珍しくないです。しわ寄せは、弱い者のところに来る点だけはご注意を。
       
      >でも、正社員が悪いわけじゃないです。なれるならそれに越したことはないです。でも選択肢を狭める必要もないってことですね。そこはいい意味での多様化ですよ。
       
       それはその通りです。多様化については、私も賛成です。
       
      >昨日暇だったのでここのコラムも初めて読んだんですが、勢い余って全部読んでしまいました。
       
       それはまた時間の無駄遣いを……。
       
      >まあ言い方の悪いところは多いけど言ってることはそれなりに妥当なんじゃないですかね。
       
       アザマス。
       
      >でも、言い方が悪いのは致命的ですね。もっと、「どうやったら相手に伝わるか」という視点で書いたほうがいいと思いますけどね。そうすれば余計な批判は減るんじゃないすっか。
       
       それは全面的に仰る通りです。反駁の余地無しです。
       
       実は、言い方悪くしているのは、それなりに理由があるんです。私も、体が一つしかないので、ある程度参加者は事前に選別されていなくてはならないのですが、その辺の事情がね……。まあ、話すと長くなりますし、テーマも違うので、この辺の事情はまた別の機会にしましょう。
       
       因みに、自分で言うのも何ですが、私はコラムの物言いは下品ですが、平素の生活では、至って常識人ですよ? 多分ね。
       
      >でも本当のことを言うのは誰にでもできますが、本当に「良い伝え方をする」というのは優れた人にしかできないのかもしれません。
       
       それはその通りだと思います。良い伝え方というのは、実は凄く難しいことなのでしょうな。
       
      >まあ今は無能でも努力次第でできるようになると思いますよ!
      >頑張ってください!応援しています!
       
       おう、無能なりに頑張るぜ!
       
      >ところで僕はニートに逆戻りしてしまったのだよ。でも、これで終わりだとは思ってないからな。
       
       まあ、それもそれでええんでないですか? 二歩下がって三歩進めば。何事も、上手く行くことばかりではないずら。大体が失敗で、たまに上手くいくこと「も」ある。そんなものですよ。自分も同じです。
       
      >必ず力をつけて社会で活躍する人間になってみせる!
       
       ワイももっと力つけて活躍するで!
       

  2. ブロガー(志望) より:

    お邪魔します。
     世の中には「需要はあるが、キツさに比べてそれ程貰えない(出す方も出せない)仕事」があります。当然それはする方にとっては「できればやりたくない仕事」になります。引き籠りは引き籠る事で自らを「キツさに比べてそれ程貰えない仕事でワーキングプアに甘んじるか、それとも野垂れ死ぬか」の選択に追い込んでしまいます。つまり引き籠りは「他者にキツさに比べてそれ程貰えない仕事をやらせたい人達」にとってある種の「カモ」で、引き籠りに対する一見優しい言葉も、結果的には上記の人達の「共犯」になってしまう可能性もあるのではないかと。
     余談ですが「あの」岡田斗司夫の引き籠りに関する発言を見つけました。
    「息子が2年間、引きこもっています」

    ここに書かれてあるような事をすれば、例えば「要介護になった時に息子に介護してもらう」事などできないでしょうし、もしかしたら息子は自宅に放火した挙句、「悪いのは自分を捨てた親だ。」とか言うかも知れません。しかし「親といえども、子供の人生”全て”に責任は取れない。」という親の「最後の教え」にはなるのではと思ったりもします。
    悩みのるつぼ【息子の怒鳴り声が聞くに堪えない】

    こちらは引き籠りの息子は既に40代なので、既に「詰んでる」かも知れませんし、既に「お互いがお互いにとってのストレス」の状況にまでなっています。そのうち親は曜日を問わず家に寄り付かなくなり、息子は家で思う存分羽を伸ばした「結果」として孤独死し、そうなっても親はそれを悔む事すら無くなってしまうのではないかと思ったりもします。

    • CARPE・FIDEM より:

      >ブロガー(志望)さん
       
      >お邪魔します。
       
       いえいえ。再訪に感謝致します。
       
      >つまり引き籠りは「他者にキツさに比べてそれ程貰えない仕事をやらせたい人達」にとってある種の「カモ」で、引き籠りに対する一見優しい言葉も、結果的には上記の人達の「共犯」になってしまう可能性もあるのではないかと。
       
       鋭いですね、仰る通りですよ。可能性どころか、ドンピシャリです。ブロガー(志望)さんは、どうにも頭のキレが良いようで(笑)。
       
       例えば、
       
      「甘えた不登校には、泊まり込みで農業でもやらせろ!」
      「根性がない引きこもりには、タコ部屋土方仕事でもさせろ!」
       
      なんて意見は昔からありますが、これなんかは、逆に「厳しい言葉で」、ブロガーさんの仰る、
       
      >「需要はあるが、キツさに比べてそれ程貰えない(出す方も出せない)仕事」
       
      に引きこもりを追い込んでいるわけです。アメで誘おうがムチで追い立てようが、行き先は同じでしてね。結局、無能力層には、単位労働時間に対する生産性の低い仕事しか残ってないということです。
       
       ただ、これは何も農業や建設業を否定しているわけではありません。農林水産系第一次産業の労働生産性が低くなるのは、先進国なら仕方の無いことですし、エリート層が上前をはね、n次下受けの建設業で給与が下がるのは、業界の構造上の問題です。(とは言え、オリンピックまでの当座、建設業界は羽振りが良いかと。)
       
       しかし、どちらも収益の変動が激しく、経営側に回ったり、農業法人等で土地の集約を進めないと利幅も少ないため、相続等を除外すると、やりたがる人が少ないのでしょう。また、どうしても体力勝負が中心ですので、中学高校で「ヤンチャしてた系」なら良いですが、「底辺校の真面目君」みたいなカースト最下層の立ち位置にいた人の場合、最もやりたくない仕事のハズです。虐められますから。
       
       このような事情があるため、私には、
       
      「いつまで引きこもってんだ、さっさと動けっていってんだろうがあああ!?」
       
      のような暴力的主張も、
       
      「大丈夫。君は君のままでいいんだよ。心配しなくて良いんだよ」
       
      のようなベタ甘な主張も、結局は同じことでしかないと思っています。後者の方が現状維持を誘発し、成長率を低下させることを考えれば、寧ろ悪質かも知れません。ベタ甘で良いのは不登校・引きこもり初期だけで、それ以降はほとんど害になっています。
       
       一見すると正しいことをしているようで、実際は状況悪化を加速させている現状は、そろそろ広く認識されるべきだと思います。このルートで進んで失敗したのが、現段階での長期高齢引きこもり群ですし。
       
       私個人としては、結局この問題を解決するには、その人の能力を高めるしか手がないと思っています。能力向上が見込めなくなった段階で、実質ワーキングプア確定。大筋30代でアウトでしょうか。
       
      >余談ですが「あの」岡田斗司夫の引き籠りに関する発言を見つけました。
      >「息子が2年間、引きこもっています」
      >ここに書かれてあるような事をすれば、例えば「要介護になった時に息子に介護してもらう」事などできないでしょうし、
       
       いや、どうせ介護なんかしませんよ。する人「も」いるかも知れませんが。介護って、役場での手続きやヘルパーさんとのやり取りだけでも、結構社会性要求されますんで、ガチンコ引きこもりにはそもそも無理です。
       
      >もしかしたら息子は自宅に放火した挙句、「悪いのは自分を捨てた親だ。」とか言うかも知れません。
       
       この「本人を放置して家族が避難する手法」は、確か筑波大の斉藤先生が提唱していましたね。私も無難な方法だと思います。ただ、名古屋だったかどこかで、これやられた息子が無差別傷害事件みたいなことをして、その後はあまり聞かないです。他に手段ないので、続けてるかも知れませんが。
       
      >しかし「親といえども、子供の人生”全て”に責任は取れない。」という親の「最後の教え」にはなるのではと思ったりもします。
       
       本当は、「自分のことは自分で責任を取る」なんて基本は、子供のうちから少しずつ伝えることなんでしょうけど、親側でサボりにサボれば、最期はそんなものかも知れません。
       
      >そのうち親は曜日を問わず家に寄り付かなくなり、息子は家で思う存分羽を伸ばした「結果」として孤独死し、そうなっても親はそれを悔む事すら無くなってしまうのではないかと思ったりもします。
       
       まあ、それはそれで良いのではないでしょうか? 自由というものは、何らか形で貯めたストックを使用することで得られるものです。親の作ったストックであれ、自分で作ったストックであれ、それは変わりません。ストックを使い尽くせば、最大の不自由、即ち「死」あるのみ。
       
       長期引きこもりの親の最大の罪は、結局のところ「子供の怠惰を安易に許したこと」に尽きます。表面化しないため見えにくいですが、何万という手遅れ系長期高齢引きこもりの背後には、親も本人も苦しいところを耐えて、社会に戻って行った成功実例が何万とあるわけで、失敗例ばかり表にでますが、成功例だって同様にあるわけです。何も、完全な不可能事ではないのです。
       
       私も長期高齢引きこもりの事例は、直接間接含めてかなり見てますが、正直、可哀想とか思ったことほぼないです。はっきり言えば、「そりゃ、おかしくもなるわ」というのがほとんどです。
       
       因みに、リンク先のコメントに、
       
      >なので、よくある精神論や「家から追い出せ」「親が甘いから」という指摘は無意味です。
       
      とありますが、実際見てみると、親の甘さが原因なのは変えようがない現実ですよ。もう少し分かりやすく言うと、それなりに芯のある家庭の場合、仮に子供が引きこもっても短期で終わらせて悪化させない一方、逆にふにゃけた家庭の場合、どんどん長期化するという構図です。
       
       個人的には、優れた家庭はバランス良く適度な精神論を日常生活に組み入れていて、低品質な子供にならないように注意しているのだと思いますね。だから、仮に引きこもっても戻りも早い。逆に、いい加減な家庭はそもそも日頃からの対処が甘々で、子供自体がそれに慣れきっている。結果、親に依存することを何とも思わない低俗な子供になるわけで。
       
       前者は、穏当な精神論をコンスタントに利用する一方、後者はギリギリになるまで何もせず、なってから精神論を爆発させようとするからおかしなことになるので、そこははき違えないようにしたいですね。でないと、また甘々設定で引きこもり増えます。
       

  3. ナナ より:

    こんにちは、前回の記事にもコメントした、不登校を経験したことがないのにうっかりこのサイトにたどり着いたナナです。

    「不登校経験者は、概して他人に甘いですが、同時に自分にも甘くなりがちで〜」とブログに書いてありましたが、私は、彼らは甘い人間ではないと考えます。不登校になり、引きこもり期間が長期化する人間は甘いのではありません。地頭が弱いのです。

    頭が弱いから見通しが甘くなる。見通しが甘いから自分が置かれた状況を分析できない。分析できないから自分が危機的な状況にいることに気付かず「大丈夫」と思ってしまう。大丈夫と思うから、油断して自分や周りに甘くなってしまう。

    私は引きこもったこともなく、周りにも引きこもりはいません。ですが、地頭が弱くて見通しが甘い人間に会ったことはあります。

    昔、私の知人に「政治家や一流の経営者と天下太平を語るんだ!」と将来の展望を語っていた人がいました。ただのバイト清掃員でしかない君が、どうやって政治家や経営者と語り合うんだと質問したら、「その人達の利用する店で待ち伏せして飲みに誘うんだ」という答えが返ってきました。

    彼は本気で、自分のプランは実行可能な方法だと信じていました。ブックオフの100円コーナーで叩き売られている経済本を読んで、自分は見識者であると信じていました。

    彼は「政治家や経営者に会う機会を増やす」と言って、精神科の受診を勧める家族を捨てて東京に行きました。今、彼が何をしているのか私にはわかりません。

    当時、私は彼の言動や思考にどん引きして、彼が何を言っても適当に聞き流していました。ただ、彼が東京に行くと言ったとき、止めなかったことを少しだけ後悔しています。

    定職につかず、30代になって非現実的な夢を非現実的な方法で実行しようとする彼が東京に行ったところで、ろくに生活できません。社会的な自殺行為だと思います。彼の東京行きを止めなかったことは、これから自殺すると言った人間を止めなかったことと同じなのではないか? と、ときどき罪悪感のようなものを感じるときがあります。

    いや、多分、私が何を言ったところで彼は変わらなかったでしょう。

    しかし、彼のような、引きこもりのような、緩慢な自殺を続ける人間を見ると、いたたまれないというか正視に耐えないというか、もっといい人生送れただろ! 何で破滅的な生き方を選び続けるんだ! と怒鳴りたくなるような、妙な気持ちを感じるのです。

    他人がどんな人生を送ろうが、私には無関係なはずなんですけどね……大村さんは、引きこもりに対して、私のような気持ちになったことはありますか?

    • CARPE・FIDEM より:

      >ナナさん
       
      >こんにちは、前回の記事にもコメントした、不登校を経験したことがないのにうっかりこのサイトにたどり着いたナナです。
       
       はい、こんにちは。再度の「うっかり」痛み入ります。
       
      >「不登校経験者は、概して他人に甘いですが、同時に自分にも甘くなりがちで〜」とブログに書いてありましたが、私は、彼らは甘い人間ではないと考えます。不登校になり、引きこもり期間が長期化する人間は甘いのではありません。地頭が弱いのです。
       
       げえっ! 私のマネするのやめて下さいな。いらん敵を作りますよ。
       
      >頭が弱いから見通しが甘くなる。見通しが甘いから自分が置かれた状況を分析できない。分析できないから自分が危機的な状況にいることに気付かず「大丈夫」と思ってしまう。大丈夫と思うから、油断して自分や周りに甘くなってしまう。
       
       まあ、その通りですが、ここでは言わん方が良いですよ。変な人はどこにでもいますし。下手するとグサりと……。
       
      >私は引きこもったこともなく、周りにも引きこもりはいません。ですが、地頭が弱くて見通しが甘い人間に会ったことはあります。
      >しかし、彼のような、引きこもりのような、緩慢な自殺を続ける人間を見ると、いたたまれないというか正視に耐えないというか、もっといい人生送れただろ! 何で破滅的な生き方を選び続けるんだ! と怒鳴りたくなるような、妙な気持ちを感じるのです。
      >他人がどんな人生を送ろうが、私には無関係なはずなんですけどね……大村さんは、引きこもりに対して、私のような気持ちになったことはありますか?
       
       ありますね。厳密に言うと、CARPEの中ではありませんが、頼まれて行った引きこもりの居場所みたいなところでは、嫌という程見せつけられました。
       
       ただまあ結論から言えば、「どうでも良いかな」と。人には能力に応じた社会的立ち位置というものがあって、多少のブレはあっても大幅な逸脱は難しい。自分が知らないだけで、未知の才覚が開花する可能性もあるかも知れませんが、それを含めて自身を発見し、自我を確立するのが青年期の課題なわけです。となると、せいぜい30未満で自分の才覚をある程度正確に把握するのは義務みたいなもので、それが出来んというなら、それ自体が無能の証なのかも知れません。
       
       私も相手を見て話をしますが、例えばどう見ても優れた要素を持っている人間が道を踏み外しそうになったら、それこそナナさんと同じように、
       
      >「もっといい人生送れただろ! 何で破滅的な生き方を選び続けるんだ!」
       
      と怒鳴りますね。怒鳴るだけの価値がありますし、怒鳴っただけのリターンもある。私にとっても、社会にとっても、そして何より本人にとっても。
       
       或いは、まだ若い子にも致命的過ちがあったら怒鳴りますね。10代には必ず。20代では人を選んで。30代過ぎたら、古い親友か親族位でしょうか。私にも、殴り合いの喧嘩になっても勝手に修復する親友も親族もおりますが、その程度なら。
       
       しかし、特にこれと言った要素が無いなら何も言わんです。面倒ですし、何のメリットもない。それどころか、ツマラナイ人間ほどこちらの趣旨を理解出来ず逆恨みしてきたりしますから、厄介なだけなんですよ。だから、相手が間違っていても何も言わず、満面の笑顔で、
       
      「頑張って! 応援してるよ!」
       
      なんてね。甘い言葉の背後には、有象無象の利益が絡むということですな。
       
       でもまあ良いじゃないですか、その彼がどうあろうと。所詮、自分の人生は自分で決めること。器にそぐわない生き方で身を滅ぼしても、それは本人の責任です。寧ろ、相互の意識に隔たりが大きいなら、関わらない方が双方にとってもメリットが多い。逆に、何かの拍子に彼が上手く行って愉快な人生になるかも知れない。彼のことを気にするなら、せめて成功を祈ろうじゃありませんか。
       
       私はナナさんがお幾つか存じませんが、ある程度生きていれば、人一人が出来ることなど高が知れている現実にどうしても直面するわけです。そりゃ、多額の資金と人員に労力を積み重ねれば、何とかなるかも知れない。しかし、普通はそんな余裕はどこにもないし、第一、相手がそれだけの投資に見合う存在なのかどうか。無駄な投資をしているほど、ナナさんには余裕があるのでしょうか?
       
       だったら、「自分がもう少し頑張っていれば……」等と考えず、ドライに処理すれば良いと思います。にもかかわらずそれが出来ないのなら、何か別の理由があるのかも。ここから先は推察にしかなりませんので、止めておきましょうか。
       
       ただまあ、私も人間ですので、気持ちは分かります。分かるのは気持ちまでですが。全く相手には伝わらないでしょうけど、その気持ち自体はナナさん自身の誠意です。大切になさって下さい。

  4. 支援! より:

    この手の自称支援者の方って「一生アルバイトでも生きては行けるしええやん」みたいなことを平気で言うんですよね。支援対象者を自分より格下の存在にしておきたいという性根が透けて見えて本当に卑しいとしかいいようがない。支援対象者をいかに上に行かせるかを考えてる大村さんの姿勢には本当に頭が下がります。

    • CARPE・FIDEM より:

      >支援!さん
       
       はじめまして。CARPE・FIDEM代表の大村です。コメントありがとうございます。
       
      >この手の自称支援者の方って「一生アルバイトでも生きては行けるしええやん」みたいなことを平気で言うんですよね。
      >支援対象者を自分より格下の存在にしておきたいという性根が透けて見えて本当に卑しいとしかいいようがない。
       
       気持ちは分かりますが、あまり彼等のことは悪く言わんで下さい。私も、内部関係者から話を聞いたりして調べて分かったのですが、これにはいくつか事情があるようなのです。
       
      1:支援者側が精神的に自立出来ていない
       
       例えば、支援!さんの仰る、
       
      >支援対象者を自分より格下の存在にしておきたいという性根
       
      なんてのがコレです。支援者自身が精神的に自立していないので、自分よりも目下と思っていた当事者が成長し、「上」を押さえられることが不安なのでしょう。頭の良い当事者に、パッとしない支援者が組み合わさった場合によく見ます。見た目的には、対象者を正当に評価出来ないタイプの支援者がコレに該当しますが、確かに結構多いですね、コレは。
       
      2:支援者が経済的に自立出来ていない
       
       推定ですが、
       
      >「一生アルバイトでも生きては行けるしええやん」
       
      みたいな発言をする支援者は、
       
      A:自分は経済的に安定した上で、当事者の能力を見極め、相手の自立のハードルを下げるために言っている。(支援者に誠意も能力もあるパターン。ほぼ存在しない。)
       
      B:自分が自立出来ておらず、アルバイト程度しか出来ないので、当事者もそのレベルに押し留めようとしている。(支援者に誠意も能力もないパターン。少数だが確実に一定数存在する。)
       
      C:当事者を手助けしたいとは思うが、アルバイト以上の可能性を想起することが出来ない。(誠意はあるが、能力がないパターン。多数派。)

       
      のどれかに該当していて、元引きこもり系支援者に一番多いのがCなんじゃないかと思います。(因みに、D「能力はあるけど誠意がない」人は、引きこもり業界に残りませんので、除外してます。)
       
       これには一応統計的なものがあるのですが、結果を簡潔にまとめると、
       
      「脱ヒキ後の受け入れ環境が良い元当事者ほど、不登校・引きこもり業界には残らず、環境の悪い人程、不登校・引きこもり業界に残りたがる」
       
      言い換えると、脱ヒキ後の収入が十分で、職場環境も良い人は、わざわざ自分の不登校・引きこもり時代をとやかく言ったりはしない。何故なら、既に経済的にも精神的にも自立していて、その必要性がないから。
       
       逆に、脱ヒキ後の収入が不安定だったり、まともな職場環境が無いと、自身の不登校・引きこもり経験を声高に主張したがる。何故なら、経済的にも精神的にも自立しておらず、まだ片足半分引きこもり状態で、そこにしか自分を定義出来るものが無いから。
       
       私のところにも、たまに、
       
      「自分は元不登校・引きこもりだったけど、その経験を活かして、今の不登校や引きこもりの子達を手助けしたい」
       
      なんて話が定期的に持ち込まれますが、基本的には
       
      「やめときなさい。無意味だし、場合によっては害悪になる」
      「どうしてもやりたいなら、まず経済的に自立するか、或いは、せめて卒後安定的に仕事に就ける大学へ進学し、その安定した地位でもって行いなさい」
       
      と言っています。最終的な目標が元ルートへの回帰なら、半端な引きこもり肯定意識は邪魔になるためです。
       
       つまり、精神的・経済的自立という基盤が未達成な状態で、本来は支援側に回るより先に自活・自立を優先すべきなのに、中途半端な状態で表に出てくるからおかしなことになる、というのが実情なのではないでしょうか? 因みに、これは15年近く前から同様の傾向がありましたので、悪しき伝統とも言えます。
       
       
       前にもどこかに書きましたが、強者は弱者を救えますが、弱者は弱者を救えません。弱者の立ち位置で、「共感」や「親和性」を語る人も沢山いますが、共感でお金は生まれませんし、仮に生まれても、それは怪しいネットワークビジネスと何が違うのか? 弱い人々を本当に助けたかったら、まずは何より、自分自身が「弱者である状態」から脱却し、強者になることが先決です。
       
       しかし、実際に強者たろうとはせず、弱いままで支援に出てくるケースの方が多い。何故か?
       
       結局は助けるフリしているだけで、腹の底では自分の自己肯定感を得たいがために、現当事者を利用している支援者が多いというだけのこと。目的の中核が支援側の自己肯定感なので、支援本体の質は二の次になる。同時に、支援側自身の才覚が乏しいため、引きこもり後輩に良い道を提示することが出来ない。これこそ、彼等に感じる違和感の根源でしょう。
       
       支援!さんの仰る不満は、このような、
       
      「支援者側が支援者にもかかわらず、依然として弱者状態から脱却出来ていない」
       
      という、引きこもり支援現場の致命的欠陥から来ているのだと思います。本来支援者側は、経済的にも能力的にも余裕を持って当事者に当たらないといけないのに、その支援者側が不安定な立ち位置にいる。非正規雇用職員がハローワークの受付をやるのと、実態は何も変わりません。
       
       私の知る限りの不登校・引きこもり支援者で、経済的に安定していたのは、
       
      1:医師
      2:大学教員(非常勤講師を除く)
      3:公的機関勤務の職員・カウンセラー(非常勤採用を除く)
      4:既に長年の実績を持っている各種支援者

       
      位で、次点が、
       
      5:大学教員(非常勤講師)
      6:公的機関の職員・カウンセラー(非常勤採用)

       
      が限界ライン。他は何らかの弱者系支援者と言えます。
       
       
       この辺は既に当事者側にも知れ渡っていると思いますが、例えば、90年代の心理学ブームで発生した底辺私立大学心理学系学部(学科)の卒業生等は、まさにこの弱者系支援者に該当していました。即ち、
       
      1:引きこもりから抜ける(「このままじゃダメだ!」)

      2:心理系学部入学(「引きこもりだったことの経験を活かして!」)

      3:教授から言われてフィールドワークをこなす(現場業務に携わり、手応えを得る。)

      4:心理系資格を取るor能力的に諦める。(この段階で、既に1000万円近い借金が残っている人もいる。)

      5:心理系ポストはほぼ無く、就職先の待遇も良くない現実に気付く。(しかし、今更変えられない。)

      6:アルバイトの合間に、教授に言われたフィールドワークを継続。(減らない借金・不安定な先行き。)

      7:???(行方不明等)

       
      なんてパターンです。そう言えば、「高学歴ワーキングプア」とかいう本がありましたが、それとほぼ同じルートでしょうか。(もっとも、この本の筆者も、判断能力の乏しさからすれば何とも微妙な存在ですが……。高学歴と言うよりは、「だらしなくダラダラ勉強していたら就職先が無くなってたでゴザる」的な人で、自分の判断ミスを人に押しつけるような話ばかりで、何か引きこもり発想の人でしたね。)
       
       私が主に見たのは、2~5(学生)や6(卒業生。恐らくオーバードクター的な地位)にいる心理系支援者でした。教授側の立場を夢想して大学へ来たのかも知れませんが、そんなのは典型的な学歴エリートが占めてしまうわけで、入る隙間なんて更々ない。しかし、現実に気付いたときには、既に年齢も重ね、就職にも不利。理系と違って、文系はポテンシャル採用ですから、年齢こそ資産なのですが、それもどんどん失われていく。
       
       つまり、彼らは最初から「入り口」を間違えたのです。
       
       このような流れで支援側に回った人なんかは、かなり地雷人材です。経済的に自立出来ていないにもかかわらず、大学で学んだというプライドだけはある。結果、当事者側を積極的に持ち上げる気にもなれず、自分の立場が危うくならないように、自分より下に置こうとする。
       
       最初のうちこそ、誠意溢れる対応が出来たにしても、継続的に続く困窮と先行き不透明な空気が、支援側を蝕む。まさに、貧すれば鈍すなわけで。ただ、これはそんなに珍しい話でもありません。
       
       このような悪循環が支援現場にある以上、割を食うのは当事者です。そのような事態を見抜いたら、当事者側も積極的に避けるべきだと思いますね。
       
       
      >支援対象者をいかに上に行かせるかを考えてる大村さんの姿勢には本当に頭が下がります。
       
       それは違いますよ。私は自分よりも優れた人が好きなだけです。彼等のマネをすることで私もそれを取り入れることが出来ますから、周囲には優れた人が多い方が良い。もっとも、全部取り入れるのは私の能力的に無理ですけど。
       
       周囲が上がると、私も自然と上昇基調になります。経済学の基本みたいなものですが、まあ信用創造ってトコでしょうか。皆を儲けさせることが、自分の収益向上に繋がるのと同じことです。経済や個々人の能力は決してゼロサムゲームではないのであって、そこを大切にしているだけです。全ては、私の能力的・経験的利益のためなんですよ。偶然それが、皆の利益にも繋がる。ただ、CARPEのシステムがそうなっているだけ。従って、頭を下げて貰う必要はどこにもありません。
        
       とは言え、不登校・引きこもりという理由だけで、社会のド底辺を這いつくばらないといけない道理なんて無いと思っています。それどころか、人付き合いが苦手なだけの有能な人物は腐る程見ていますし、彼等が結果として社会のアッパークラスに上がって行く様も、これまた嫌と言うほど見ています。
       
       優れた卒業生が集まり、それがまた次の優れた卒業生を生み出す。私はそれを見て、
       
      「うむうむ。それでよかよか」
       
      とでも言っていればOK。簡単な仕事です。
       
       以上のように、自分の利益を求め、更には楽をしようとした結果が今の私です。取り立てて評価には値しませんが、特に間違ったこともしていない。多分、それ位が私の妥当な立ち位置だと思います。
       

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