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引きこもりと強権的な親について ~強制力の強い親は本当に悪いのか?~

子に強く当たれない親こそ、引きこもりの元凶です。

「 引きこもり の話は分かったが、
働きもしないで、そいつらは一体どうやって生活してるんだ?

外房の漁村で出会った老漁師 

 残念なことに、 引きこもり 支援業界には「強制」=「絶対的な悪」と短絡する人々が一定数存在しますが、更に残念なことに、支援の基本指針を策定する指導層程、その短絡がより一掃顕著です。

親が強権的だから引きこもるのか?

 最近の引きこもり業界では、長期高齢引きこもり界隈を中心に、「父親が(或いは母親が)子供に強く強制したから、引きこもりが悪化した」なる言説が度々出てきます。しかし、客観的に見てこれは嘘です。本当に強権的な父親は、子供のひきこもりを許すことなど100%あり得ず、早々に家から追い出してしまうためです。

 長期高齢引きこもりの言う強権的な親とは、せいぜい「口煩い親」や「行動にあれこれ文句を言って活動を制限する親」程度のもので、強権でも何でもありません。「父親が(或いは母親が)子供に強く強制したから、引きこもりが悪化した」なる主張には、喧しく、自分の都合通りに動かない親を悪者に仕立て上げ、自身の保身を画策する浅ましさがあるだけです。

 強権的な親のいる家庭では、仮に引きこもろうとしても、家から叩き出される等の物理的排除を受け、その選択肢自体が早々に潰される。強権的とはそういうものです。親が長期にわたって引きこもりを許している以上、そこには強権性など存在しません。寧ろ、強権とは名ばかりの、中途半端な甘やかしが親側に見え隠れします。

 強権性が誤った形で子供に向いた場合、そこで発生するのは「子の引きこもり」でなく「親の虐待」で、結果として子供が幼少ならば「家出」、ある程度成長していれば「一人暮らし」が誘発されます。誤りの形式は多々あれど、危険な家に残る道理はどこにもありませんから、誤った強権性は必然的に子供の退避行動を誘引します。

 以上のような事情により、「親が強権的だから引きこもった」は、強権性の正誤両面においてもあり得ない話であり、偽りです。

昭和的な親達が引きこもりを生むのか?

 昔と比較すれば、強権的な親の存在はかなり減りましたが、地方では今もそれなりに健在で、私も「良識的ながら、ある程度の強権性を伴った家庭」複数との関係を維持しています。

 そこで、彼らの行動指針の中核となる三つの要素を紹介してみましょう。

1:働かざる者食うべからず

 子には子の、親には親の義務があります。義務を果たしているなら、彼らは何も言いませんが、義務を果たさない者に対しては制裁が待っています。

2:自分のことは自分でやれ

 自分の尻は自分で拭うものとされており、疾病や加齢等、やむを得ない事情でも無い限り、自分の世話を他者に行わせるなどあり得ない話です。

3:世間様に迷惑をかけるな

 自分には自分の人生があるように、他人には他人の人生があります。他人を尊重するなら、まず相手に迷惑をかけない振る舞いを知るべきです。

 良識的ながら強権的な家庭では、最低でもこの三要素が絶対的なルールとなっており、同種の家庭では引きこもりも発生していません。引きこもりとは、これら全てを侵害する行為ですから、子供の側でも最初から選択肢に入らないためです。同時に、この三要素は子供に対する躾の基本指針となっており、幼少期から繰り返し説かれ続け、そして当然のことのように実践されています。

 当人が望む望まないに関係無く、仮にも指針を侵すことがあるとするなら、その家庭に子供の居場所はなく、ただ黙って去るしかないのが掟ですが、しかし過去においては、それが自立の一つと考えられていました。間接的ながら、家庭における強権性と不自由とが、結果的に子供の自立を後押ししていたのです。

引きこもりへの強制0を謳う人々

 その一方、現在の引きこもり支援業界では、一部の福祉系支援者を中心に、上記三要素を「昭和の悪習」「忌むべき人権侵害行為」と捉え、真逆の対処で応じています。「働きたくないなら、働く必要はありません。生活保護があります。自立は二の次です。人に頼ることを考えましょう。世間に捕らわれず、自分を信じて生きましょう」が基本スタンスで、コロナ以降、この傾向は特に顕著となっています。

 彼らの主張するこの姿勢は、支援の効果を観察するに、自室から出てこない引きこもりを部屋から出す初動支援には効果的ですが、就職という出口戦略においては寧ろ真逆に機能するという、致命的な欠陥がありますこれは、就職経験の乏しい長期高齢引きこもりが、支援によって部屋から出るようになってもほぼ就職せず、状況によっては再び引きこもりに戻っている点からも明らかで、8050問題の停滞要因となっています。

 就職上の欠陥を補うため、彼らは積極的に生活保護を推奨していますが、上記三要素を維持し、社会を支えている人々からすれば、一方的な不利益を負わされることになります。そしてその負担は、引きこもり当事者が死亡するまで延々と続き、概算するだけでも、現在の生活保護の支出総額を倍加させる程度のインパクトがあります。

 引きこもりの中断には、上記三要素を持つ家庭の姿勢こそが支援上の最重要ファクターとなるはずなのですが、何故か引きこもり業界では批判の対象となっており、最優先で排除すべき敵とされています。

自立しない引きこもりは事実上の犯罪者である

 少なくとも、私は個々人の自由な活動を好意的に捉えていますし、私自身もその自由を楽しむ者です。しかし、自由は権利であると同時に義務を伴うものであることも深く理解しています。万人が義務を忠実に履行するからこそ、それぞれの自由も確保されている現実に対し、自由と言う名の果実だけを掠め取る行為は、窃盗や詐取と同義です。窃盗行為を積極的に推奨する支援者がいるのは大変残念なことですが、義務履行の大前提を支援者が軽んじる現状を鑑みるに、この傾向は当座止むことはないでしょう。

 無論、ただ徒に力を振り回し、目下の者に圧力を加え、脅かす類の強権性には反対です。しかし、強権の背後に控える道徳までも「古臭い家父長制の残滓」とし、一網打尽に切り捨てる姿勢には疑問を感じざる得ません。まして、切り捨ての代替案として提示する彼らの福祉的手法に少なからぬ手落ちが存在するため、その疑問はより一層強いものとなります。

 福祉系支援者がこの「古い昭和」の切り捨てに積極的なのには訳がありますが、しかし、それについては、また回を改めることにしましょう。

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