この記事とか分かりやすいかな。引きこもりが親の死を隠して年金を不正受給する場合、比較的多い言い訳が「介護してた」。
まあ、ありがちな回答だけど、これ、引きこもり当事者のカモフラージュとしては、非常に賢いと思う。「親の介護なら仕方ないよね」という言い訳が立つし、多くの引きこもり当事者が求める「心優しい自分」像を演出出来るから。しかも、年金チョロまかしてても「心優しい自分」の印象があれば、裁判で情状酌量の余地が狙える。まさに一石二鳥な戦略。あっぱれですな。
でも、要点はそこにはないし、別に記事の容疑者をコレで叩くつもりもない。大切なのは、「本当に介護してたのか?」ってこと。
自分も、介護関係の実務やってる人達からよく話聞くけど、介護ってどこまでも人間対人間なので、本当にコミュ力必要な業界。現場は勿論だけど、ケアマネさんやら訪問介護のスタッフやらに加え、医療関係者との連携も必要で、円滑な介護が出来る人は、様々な意味で一定以上のレベルがある。日常的な買い物や、何かあったときのご近所付き合いもそうだけど、コミュ障で容易に捌けるものではない。
そこで、「引きこもりが親の介護してた」とか聞くと、普通は二つのことが思いつく。
1:そもそも別に引きこもりではなく、生活様式がそれっぽいだけ
2:介護など嘘。何もしておらず、ただその場を誤魔化そうとしただけ
どちらなのかは、すぐ分かる。介護保険に関与しているスタッフなど関係者に確認し、その「引きこもり」の日常の様子を聞いてみれば良い。実際に介護していた1のケースなら、誰かしらスタッフとの交流がある。しかし、2のような嘘つきの場合には、スタッフが誰もその引きこもりを認知していない。「そんな人いたっけ?」とか「いるのは知ってるけど、ほとんど見たことない」という反応が返ってくる。嘘つきは、すぐバレる。
試しに、訪問介護とかの介護士さんに聞いてみると良いですよ。引きこもりは、まず介護の手伝いしませんし、手伝いどころか家事さえしない方が普通です。「親の介護してて」なんて引きこもりがいたら、まず先に疑ってかかるべき。
改めて、上記記事の内容が真実なら、記事の息子は1のケース、つまり最低限の社会生活は維持出来るレベル。でないと、そもそも買い物も介護の連携も何も出来ないし、早々に父親も死亡していただろうから、最低限介護はしていたはず。(まあ、本音を言えば、11年母親死亡で父親が12年死亡だから、実際は、父親の介護なんてやってない可能性も結構高いですけど、それはまた別の機会に。)
となると、要は「父親の死後、仕事をしたくなかった」というのが本音で、死亡した親の年金流用は、「仕事をしたくなかった」の結果でしょう。
ここで問題なのは、最低限の社会生活は営んでいるのに、「仕事をしたくなかった」を理由に、年金の流用をする人間の姿勢。少なくとも、父親死亡の段階では、まだ子供は50になるかならないかの段階で、「高齢で求人ゼロ」などという状況ではない。2012年前後は、失業率は低下し、有効求人倍率は年々上昇していた時期なので、仕事が無いのでもない。単に「経験が乏しく、痛い目に合うことが分かっているから、やりたくなかった」が真実でしょう。
「出来ない」と「やりたくない」は全く別。「やりたくない」を「出来ない」と表現する当事者は珍しくもないですが、「やりたくない」を認めると、社会が破綻する。誰だって、日々の仕事なんてやりたくないし、多少の我慢を踏まえて生きている。正直に言えば、自分だって仕事なんかしたくない。でも、そこは「義務」として認識している。
結局、この息子は「やりたくない」というワガママを突き通した結果、詐欺に繋がったわけだけど、それはそれで自業自得。表層だけ読めば、「父親の介護を献身的に行い、社会性を喪失した可哀そうな弱者」。しかし、そもそもこの息子の場合、青年期から仕事やりたくなくて、実際やってこなかった現実があるわけで、この記事のように、キリギリスに肩入れするのはどうかと思いますな。裁判は騙し合いの世界かも知れないけど、 少しは背後を読めよ、と。まあ、 メディアは書く書かないを自由に選べますから、背後を読んだ上で書かないだけかも知れませんけどね。
親の年金の不正受給は、どうせこれからどんどん増えます。この記事の筆者なんかは当事者側の主張に立って論じているし、引きこもり保護を述べたいんだろうけど、結局は不正の片棒担いでるだけ。コロナで社会の余裕が無くなっているなか、更に一般人の負担を増やす行為を「当事者に配慮して」の一言でチョロまかすのは、メディア関係者としてどうなのか。社会全体の利益をよく考えて、執筆して欲しいところです。
現在、コロナウィルスの流行をきっかけに、各教育機関は遠隔授業へと段階的に舵を切っています。
元来、教育システムとは、机上の学問のみならず、人間性の涵養を目的とした集団活動を内包しているものであり、効率性も相まって密集形態はその必然です。しかし、こと感染症が課題となった現状では、密集形態そのものが忌むべき存在となっており、物理的距離の確保は最優先。涵養を放棄してでも、生命を優先しなくてはならない状況へと移行しつつあります。
そしてこの傾向は、不登校業界でも何ら変わりありません。
一般に、不登校経験者は人間関係が苦手です。視線が気になったり、集団の会話に入れなかったり、団体行動が嫌いだったり。理由は様々ですが、好んで人間関係を構築しようとするのは少数派です。
そのため、不登校経験者への学習指導は、勢いマンツーマン形式か、少人数の個別対応形式が中心となります。人間関係が苦手なら、集団授業に適応しにくいのは自明のことですし、指導者側の目の届きやすいこの形式が、事情に即応した正しい判断とされるのも至って自然なことです。実際、CARPE・FIDEMも、発足時から継続的に個別対応指導を組み入れています。
その一方で、少人数形式には、「衆人環境への適応能力」なる不登校経験者における最大の問題点を、未解決のまま素通りさせてしまう致命的な欠陥があります。学力的問題は解決したものの、人間関係の不自由が原因で、「不登校→個別指導→大学→中退」となる事例は毎年少なからず存在し、不登校教育の現場では常時課題となり続けています。
恒常的に集団との接触を心掛けていれば、段階的に緩和されるこの種の問題でも、指導側による「手加減込み」の人間関係しか経験が無ければ、当事者は0成長のまま大学での環境に応じなくてはなりません。それに耐えられない者はひっそりと中退し、自己否定と後悔のみを抱えて振り出しに戻ります。無駄とは言いませんが、価値の乏しい行為とは言えるでしょう。
遠隔授業というその人間相互の物理的関係を断ち切る環境は、少人数形式指導を更にもう一段階乗り越えたレベルで、対人関係能力の構築速度を低下させます。環境が不登校経験者にとって望ましくなればなるほど、彼等の人間性涵養の速度は反比例して衰えていきます。
今や少人数形式を超え、モニター越しで物理的接触0の空間へと移行した遠隔での指導環境は、 緊密な関係への苦手意識があるが故に、今後より一層積極的に受入れられる可能性があります。誰しも、居心地の良い環境を望むものですから、不登校教育業界における遠隔授業の拡大も、何ら不可思議な話ではありません。
無論、社会がこのまま永続的に物理的距離を最優先とするなら、それでも影響は軽微かも知れません。しかし、過去のいかなる感染症も人間の叡智により克服されている現実を見れば、帰納的に、この現状もいつかは元の状況に戻るものと推察されます。そのとき、取り過ぎた「距離」がどのように作用するかは、火を見るよりも明らかです。
CARPE・FIDEMは、設立時より集団性授業をその中核とし、個別対応はサポート利用に制限してきました。学力の向上と同時に、不登校経験者には、別に学ばなくてはならない「他者を知る」という行為が求められています。それ故、 大学進学後や就職後の人生を考えれば、 雑多な人間の集まる衆人環境は、進学前に慣れておかなくてはならない必須項目だからです。
学問自体、人間の認知を通して自然や社会を見つめるもの。人間を拒否して、学問のみを推進するなど、土台不可能な話です。学ぶことの前提には常時他者がおり、他者とは指導者のみならず、人生を併走する友人でもあります。他者の存在が希薄化し、情報移動のみが存在するなら、それは、教育における最も重要なテーマの「何か」が置き去りにされているのではないでしょうか?
実験的指導である遠隔授業は、時間と空間の節約だけでなく、経済的負担も軽減させる素晴らしいシステムです。その一方、本来必要な学びの「何か」を失わせる恐ろしい側面も持っています。
利便性にばかり目が向きがちですが、平行して喪失されるものこそ、不登校経験者にとっては最も大切な要素。安易な居心地の良さは、いつかどこかで自分を裏切るものと考え、私自身への戒めも含め、お互い十分な注意を心掛けましょう。同時に、「他者を知る」という行為における、現実に即した代替手段の構築を目指したいと思います。
平素は格別のご高配を賜り、まことにありがとうございます。
改めて、2019年度夏期休業期間について、以下お知らせ致します。
休業期間:2019年8月10日(土)~2019年8月19日(月)
尚、自習室は休業期間を通じ、全て通常通り開室しております。また、大学受験理系基礎・大学受験理系応用の補講は、別途授業にて連絡致します。
ご不便をおかけいたしますが、何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。
受験者の皆様、本当にお疲れ様でした。今年度は工学部と医学部の受験でしたが、遠隔地での受験となるため、親御さんが同伴されたケースもあったようです。ご家族の方もお疲れ様でした。
本当は成田空港発なのに、羽田空港発だとばかり思っていた辛辛魚君。流石にあれには私も肝を冷やしましたぜ(笑)? 他にも、強化外骨格君のホテルが想像以上にヤニ臭い等の問題もありましたが、他は大きなトラブルも無く、無事に全員受験出来たようで安心しました。
これで受験絡みの大きなイベントは終了となり、必要に応じて後期試験や私大後期日程の実施となりますが、大体の人の受験が終了となりました。後は結果を見て、それぞれの進路先を検討することに致しましょう。
尚、既に大学の手続きが済んでまったり気味の方々も、これから追い出し会を実施しますので、何か気の利いた挨拶を考えておいて下さいな。入学したときも、新入生の挨拶は必ずやらされますからね。きちんと練習しておきましょう。
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