不登校・引きこもりからの大学進学塾

お家再興と個人主義

「悠君、でも何でそんなにおじいちゃんおばあちゃんの墓参りに来たがってたの?」

GW中、母方の祖父母の墓参りに行った際、伯母さんからポロッとこんなことを言われました。最近は、30代そこそこで、わざわざ遠方まで出向いて墓参りする酔狂な人も少ないからでしょうかね。

「いや、そんなスゴい理由はないです。単に傲らないように。人間、何事も上手く行ってるときは傲るので、年に何回かはきちんと頭を下げようと」

「は~。偉いねえ」

「いえ、道徳的観点からではなく、純粋に自分の利益のためです。傲ると、結局ロクな事が無い(笑)」

仕事半分ながら、今年のGWはそんなこんなで、しばらく隔たっていた親族関係者を巡る部分が多々ありました。母方の伯母さん夫妻と、その娘さん(私から見れば従姉妹でしょうか。)からは、母方の家系の様子を振り出しに、戦前戦後の苦労話や、高度経済成長期の変化の速さなどを聞きましたが、話題には事欠きませんでしたね。

「おじいちゃんがもう少し生きてくれていたらねえ……」

は私の母の口癖ですが、それでも尚、祖父母が繋ぎ合わせたこの関係は得難いものだと思います。

思い返せば、私は総合的に見て「人」に恵まれた人生を送っています。

適切なアドバイスと、精神的・経済的安定を保証してくれた父母。

時宜に合わせ、反目と協力と調和を共に学んだ弟妹。

社会での立ち位置を、別視点から教えてくれた親戚。

歳を重ねても、今なお途切れることのない友人達。

アレコレ言いながらも、何やかんやで一緒にいる妻。

私は、基本的に保守的な人間です。新時代を志向した「自立と責任意識の無い個人主義」が、結局節操の無いヒッピーまがいの安いっぽい文化と、修復不能なまでの家庭間の分断を生み出した様を見ているので、どうしても行動がその逆に動きます。

そして、その逆の行動には、何らかの「縁」を基盤として、多少の不自由を抱えながらも、質の高い人間関係が形成されることを知ってしまった。今回の旅行もまた、それを再確認させるものとなりました。

より良い人の周囲には、より良い人々が集まります。周囲がおかしいなら、自分も大なり小なりおかしいですし、それが嫌ならより良い環境へ場所を変えれば良い。変えないなら変えないなりに、その人もおかしい人々の仲間の一人ということなのでしょう。変えられないというのは大体が言い訳で、変える気のある人はいつだって変えています。

多少の責任意識と、多少の自立意志があれば、自然と好ましい人間関係が形成される。今ある環境もまた、自分が作り出したものであると再認識出来、大変満足な休暇となりました。この点だけは、自分で自分を評価したいところです。

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