不登校・引きこもりからの大学進学塾

不登校・引きこもりからの勉強は、仲の良い友人を作ることから

不登校からの脱却には、友人関係が不可欠です。

「大村さん、授業中だけど、今日は勉強止めて皆でカラオケ行きません?」

CARPE・FIDEM的日常

 何も考えず、ただ毎日勉強するだけで成績が上がるとは限りません。

活動の補色関係

 東大他旧制七帝大や、早慶等の有名私大、医学部医学科等、国内最上位群の集まる大学では、しばしば「頭脳」「性格」「容姿」「活動」の全てに恵まれた、特殊な学生を見かけることがあります。先天性要素の強い「容姿」は別にしても、誰もが羨む性質を持ったその人生指針には、往々にして見る者に自省を強制するものがあり、彼等の現状が、ただの天恵依存でない事実に気付かされます。

 彼等の行動は、偏に「可塑性」に尽きると個人的には考えているのですが、人によってはこれを「柔軟性」や「寛容性」、「好奇心の広さ」と見ることもあるでしょう。また、付和雷同するでもなく、成長を前にしては、自分自身の変化変動を厭わない軟性と同時に、自分にとって本当に大切な核については、絶対に譲らない硬性を併存させている様が見て取れます。

 軟性の要素をより具体的に表現するなら、「特定の行動のみを取るのではなく、常時活動幅を広げ、複合化させている」が妥当です。机上の勉強がある程度進んだら、体を動かしてリフレッシュしたり、友人との付き合いが続いた後には、一人で沈思黙考する等、対極にある行動を意識的に取り入れて生活しています。

 大事を成し遂げるには、一見すると無駄とも思えるこの行動ですが、人間の集中力の限界を鑑みれば、極めて合理的かつ有用です。半面での倦怠が、もう半面への希求を生み出すのは至って道理にかなっていますし、希求による成長は、いかなる分野においても応用が可能です。推定ですが、彼等は人生の早い段階で、この事実に気付いているのかも知れません。

 CARPE・FIDEMでは、彼等のこの行動指針を、 不登校 引きこもり経験者に対する日々の指導指針として取り入れています。

 

不登校・引きこもりの「補色」

 対極行動が人の成長を促すとするなら、不登校・引きこもりにおける対極とは、「より豊かな人間関係の構築」となりますが、人間関係で躓いた者が、希求の念を持って当該分野に飛び込む蓋然性はほぼ0です。

 しかし、偶然か必然か、彼等の想定よりも人間関係がスムーズに構築出来た場合、或いは、人間関係よりも厄介な問題が現前し、相対的に人間関係の問題が矮小化した場合はどうでしょうか?

CARPE・FIDEMにおける学習と対人関係の相互成長モデル 不登校 引きこもり経験者にとって、学習と対人関係の構築は交互に行うことが望ましい。
CARPE・FIDEMにおいて、学習と対人関係の成長は概して交互にやってくる。
片側が停滞していても全てが停滞しているとは限らず、指導側は各人の成長領域を個別に把握する必要がある。

情熱期

 初めてCARPE・FIDEMに参加した新規参加者の大半は、開始1~2ヶ月程の期間の多くを学習に費やし、過去に取りこぼした学力面での遅延を解消しようと努力します。(これを「情熱期」とします。)実際のところ、新奇性と緊張感から、この期間の学習効率は比較的高く、指導側の要求に対して異をとなえるケースも極めて稀です。

 一方、情熱期における姿勢は、基本的に虚像であり、当人の本来の性質を表しているとは限りません。分かりやすく言えば、「猫をかぶっている」状態に過ぎず、この時期でのニーズは、指導側でも生徒側でも安定性以外には存在しません。当人が新環境における索敵作業を終えるまで、指導側は押し黙って待ち、安定性確保のためだけに全エネルギーを投入する必要があります。

倦怠期

 1~2ヶ月の情熱期を過ぎると、次第に学習効率が低下し始めます。(これを「倦怠期」とします。)ここでの倦怠とは学習面における倦怠ですが、環境への順応から来る油断でもあります。もう少し直情的に言えば、ただの「飽き」で、この点は誰の目にも明らかですが、この倦怠期をどのように利用するかで、その後の動きは大きく分岐します。

 CARPE・FIDEMでは、この倦怠期に複数の参加者を集め、参加者提案型の課外活動を実施しています。課外活動の幅は、指導側の推薦によるものから、参加者の子達からの要望によるものまで雑多に確保していますが、主立ったものとしては、カラオケ・BBQ・小旅行・川釣り・バイキング・宅飲み会等、比較的ライトなものからスタートすることが多いようです。

 人付き合いが苦手な子でも、付き合い自体を忌み嫌っているわけではなく、適切な対処の出来ない自身の不甲斐なさを呪っているだけで、機会があればそれを克服しようと考えています。学習上の飽きが、別件の課題クリアに有効に機能する可能性があるのはこのためで、指導側の適切な判断と、集散メンバーの状況にも寄りますが、大筋50~75%がこの倦怠期を利用して、人間関係構築上の波に乗ります。

反省期

 その一方、倦怠期は必然的に学力の低下を伴いますので、大筋7~8月に前後して、「反省期」に至ります。スムーズな友人関係が確保出来たとしても、CARPE・FIDEMの本論はやはり学習ですから、いつかは机上の学びへの回帰が求められます。模擬試験の結果に右往左往するのもこの頃で、学習面への反省と、クラスの安定性とが併存した環境が生み出され、指導側としても腰を据えて学習指導を行うことが出来るようになります。

 当人にとっても、反省期に至って初めて、状況に最適化された本格的な学習がスタートします。成績が急加速するケースも珍しくなく、環境への適応と平穏な友人関係とが、成績向上に直結します。

円熟期

 反省期を過ぎると、今ひとつ馴染めなかった残りの一群も、段階的に周囲に溶け込めるようになる「円熟期」を迎えます。これは、倦怠期において先行して完成された人間関係に残りの子達が親和するためですが、親和には、しばしば指導側からの斡旋が伴っています。斡旋の根拠はあくまでノブレス・オブリージュであり、その対価はノブレス側の成長ですが、対価を否定的に捉え、斡旋を拒否するケースがほぼ存在しないのは、CARPE・FIDEMが参加者の子達に恵まれている証左でもあります。

 (尚、円熟期以降も課題は継続しますが、それはまた別の機会に改めることにしましょう。)

学習と人付き合いの相補関係

 不登校・引きこもり経験者において、机上の学問を改善への片面とするなら、もう一つの片面は、人間関係の円滑な構築です。しかし、この二者はどちらか一方のみを直線的に伸ばすことが困難である一方、相互の補完関係を意識して取り組むことで、全く想像だにしない成果を得ることがあります。

 運否天賦任せの部分がある点は認めざる得ませんが、人事を尽くした上での可能性としては、悪い判断ではないとCARPE・FIDEMでは考えています。学習と人間関係のバランスに悩んだら、一度検討してみるのも有効でしょう。

参考:「教室の空気は、平和かつ楽しいものにしたい」

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