不登校・引きこもりからの大学進学塾

国の豊かさとワイン考

今回は不登校や引きこもりは全く関係ありません。悪しからず。

この考えを視野が狭いと言うかどうかは定かではありませんが、私個人としては、今の日本は非常に豊かな環境下にあると考えています。無論、世界にはそれ以上の豊かさを享受している地域もあるでしょうし、とてつもない資産を持った人々もいますが、普通の人々が平均的に得られる豊かさを鑑みれば、日本のそれは大したものだと思います。

この話になったのが、馴染みの友人達と田舎の方でバーベキューをしていたときのことで、

「スーパーの安いワインで構わないか、沢山飲むし」

と、数百円程度のワインを皆で適当に見繕って飲んでみたところ、これがなかなかどうして美味しい。

安ワインなので、産地はチリやアルゼンチン、オーストラリアを中心としたニューワールド系が主で、他には、国が傾いたせいか為替負けしたせいか、はたまたその両方なのか、最近勃興してきたスペイン産なのですが、コスパの観点からすると大変結構な味でして。現地のバイヤーが変わった人なのかマニアなのか知りませんが、グルジア産やモルダヴィア産もあり、こちらもまた乙なものでした。

知人からも、

「東欧のワインには、たまに面白いものがある」

と聞いていましたが、なるほど確かに。資本主義の論理で売れ筋ばかりに力を注いだ結果、カベルネやメルロー、シャルドネ、せいぜいあってシラー位しか目に付かなくなってしまった旧世界の様子を横目に見ていると、更新の遅かった共産圏の経済政策も、今となっては案外悪くないものなのかと思えてきますなあ(笑)。

無論、低価格帯なので、どっしりとした強い赤ワインは期待出来ません。数年前から出てきた、イタリア産の低価格帯バローロとバルバレスコで何度か痛い目を見た私としては、ここで重い赤を期待するのはどうかとも考えており、無茶な要求をするつもりも更々ないのですが、低価格でも良い品質のものが流通するようになった点は、積極的に歓迎したいところです。ネッビオーロ種が低価格では、ロマンが無いという部分もありますし。

こと富の豊かさについては、無料、或いは低価格で高品質な製品にアクセス可能かどうかが焦点になると思いますが、その観点から言えば、デフレの影響もあってか、今の日本は驚くほど豊かです。

 

以前、弟妹二人に弟の奥さん、それに細君を加えて一緒に食事をしていたとき、

「特産品を高品質低価格で得たいなら、現地に行くのが良い。特産品以外になると、地方都市は専門店が少ないので基本的に弱い。大都市圏は、地方都市にも無い産品が世界中から集まるが、価格は高い」

という話題になり、大都市住まいの妹と、海外地方都市住まいの弟夫妻、大都市・地方都市両方見ている私達夫妻とで、食文化を題材に盛り上がったものですが、「品質」と「位置」と「価格」は、相互に関数関係にある好例だと思います。

そう考えると、「位置は遠く、品質は良く、しかし価格は安い」というこの度のワインは、上記一般法則を見事に破ってくれた素晴らしい反例と言え、他の産品にも同様の変化が出てくれることを期待せざる得ないわけです。

少し視点をずらして、大昔に私の両親が、高いだけで全く旨くないポルトガルの「マテウスロゼ」に辟易した際などは、恐らくリーファーコンテナの有無が原因だったのかも知れません。流通経路の未熟さが高価格劣化製品を生み出すケースは、ローマ時代から続く一つの商業的「お約束」で、「高い割にマズいな」という評価を受ける典型例でしょう。

しかし、高度に発展した海上流通網が、今のワインの品質を可能にしているとするなら、それを日々支え続けてくれている日本企業には、受益者の一人としてエールを送りたくなるわけで。物流は、ICタグを始めとして、まだこれから大きな変革があると言われていますが、機械化で向上する流通網の生産性には、今から注目せざる得ません。

リカードの比較生産比説が、現代でもどの程度通用するのか分かりませんし、貨幣システム自体が変わりつつある今となっては、これまでの経済ルールをそのまま踏襲するのもいかがなものかと思いますが、先進工業国と、発展途上国との「熱の差」が等しくなるそのときまで、低価格高品質な物品を楽しむことにしましょう。恐らく、それ位のことは黙って許されるはずです。

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