不登校・引きこもりからの大学進学塾

2018年度開講講座予約のお知らせ

平素は格別のご高配を賜り、まことにありがとうございます。

2018年度開講講座の開設と予約受付について、以下にお知らせ致します。予約は随時受け付けておりますが、面談受付の関係上、下記講座開講の一週間前までにご連絡下さい。

尚、例年1月は面談が集中することから、ご希望に沿えない可能性がございます。参加をご予定の方は、お早めのお申し込みをお願い致します。

 

1:大学受験理系基礎  2018年2月1日~

中学生範囲既習者向け

目標大学:地方国公立理工系学部 明治・青山・立教・学習院・中央・法政他

2:少人数制個別対応  2018月3月1日~(希望に合わせて先行開始。)

小規模授業希望者向け

目標大学:任意設定

3:センター国語    2018年3月5日~

国公立大学予定者向け

目標大学:国公立大学全般

4:中学範囲速習    2018年4月1日~

中学生範囲未修者向け

目標大学:日本・東洋・駒澤・専修他

5:大学受験理系応用  2018年4月1日~(2017年度理系基礎の補講は3月末まで。)

高校生範囲既習者向け

目標大学:帝大他国公立医・獣・薬・理工系学部 早稲田・慶應他

6:センター倫理・政経 2018年4月1日~

国公立大学予定者向け

目標大学:国公立大学全般

7:医療系論文面接   2018年4月1日~

医学部受験予定者向け

目標大学:国公立・私立医学部

8:医学短期集中    2018年4月1日~(希望に合わせて先行開始。)

医学部受験予定者向け

目標大学:国公立・私立医学部

9:訪問形式総合支援  2018年4月1日~(内部参加者優先。)

小規模授業希望者向け

目標大学:任意設定

 

以上、ご確認をお願い致します。

2017年度冬期休業期間のお知らせ

平素は格別のご高配を賜り、まことにありがとうございます。

年末年始の冬期休業期間について、以下お知らせ致します。

休業期間:2017年12月28日(木)~2018年1月3日(水)

尚、自習室は年末年始を通じ、全て通常通り開室しております。また、大学受験理系基礎・大学受験理系応用の補講は、別途授業にて連絡致します。

ご不便をおかけいたしますが、何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。

何故長期高齢引きこもりは叩かれるのか?

「当事者側が仮にも目標を達成したいなら、こういう主張はやめた方が良いと思うんだけどなあ・・・・・・」

と、言いたくなる記事が一つありましたので、ご紹介。

 

「ひきこもり就労支援、半数の自治体が断念」当事者や家族から疑問の声

https://news.yahoo.co.jp/byline/masakiikegami/20171201-00078769/

 

筆者の方の要点をかいつまんでみると、

1:現場取材もしてない産経新聞のトバし記事が、

2:厚労省の意図とズレているので、

3:高齢引きこもり達がキレました。

4:自治体や国は、高齢の引きこもりにもっと寄り沿うべきであり、

5:「仕事しろ仕事しろ」ではなく、「大丈夫だよ。守ってあげるよ」という福祉的視点を持て。

でしょうかね。

 

まあ、言いたいことは分からんでもないんですけどね。ただ、長期高齢引きこもり当事者は、筆者の方も含めて、何か行っちゃいかん領域に駒を進めているのがね、いかにも危ないと思いましてな。警告含めて、逆の視点も提示しておきましょうか。まあ、過去の経験からすると、言っても無駄な気がしますが・・・・・・。今回のは長いですが、一応重要なことなので。

 

>1:現場取材もしてない産経新聞のトバし記事が、

筆者の方が、最初の段落で、

>自立できなければ生活保護に移行し、社会保障費がさらに増大することが懸念されている。

>いったい、「懸念」しているのは、誰のことなのか。

と問を放っているのですが、後段読んでもそれに対する回収が見当たらないので、偉そうですが、産経新聞の記者の方に代わって私が回答しましょう。

要は「納税者全員です」よ。「懸念している」の主語は、「まっとうな納税者」、つまり、普通の人達ほぼ全員です。

そりゃそうだ。実際、自立出来ないなら、生活保護他公的扶助に転がり込むのは目に見えているのですし、そこをカバーするのは一般的な納税者。懸念するのは普通でしょう。だって、自分達の税金を何にもしてない引きこもりに使われるんですもの、懸念しますよ。別に変なことは言ってないです。

つまり、産経新聞としては何も作為的にトバしているのではなく、よくある一般論をまとめただけ、ということだと思います。

 

>2:厚労省の意図とズレているので、

私の同期にも厚労省のキャリア官僚をしているのがいて、たまに飲み会で当たり障りの無い話を聞いたりしますが、基本的には、

「役人はローテーション組んで代替わりで連続的に業務を続けて行くものだから、立場で発言しないといけない。個人として思うことがあっても、対外的にはそういった発言は事実上出来ない。どこで言質取られて、変な話をされるか分からないし」

だそうですな。

まあ、当たり前ですよ。組織のシステムって、そういうものですもの。別段、お役人でなくても、大きい組織はどこも似たようなものですし。

で、「厚生労働省」って漢字見れば分かりますが、ここは基本的に弱い人達を守るための官庁です。2001年の省庁再編のときも、厚生省と労働省が合体して出来た訳ですし、内部部局の構成を見ても分かるように、「高齢者」「障害者」「子供」「労働者」等々、弱い立場の人達守るのが仕事です。よって、腹の内がどうであれ、対外的には「弱い人達を守っていますよ」アピールは絶対に必須。そこ外したら、袋叩きに遭いますからね、変な人達に。

従って、この手の話題で引きこもり当事者サイドから何か言われたら、当事者サイドに寄り添うような言い方しないといけないんですよ、「絶対」に。産経新聞寄りの話なんかしたら、仮に正しくとも、どんな叩かれ方するやら。私が厚労省のお役人だとしても、同じように言いますよ。まして、家族抱えて子供なんかいたら、出世に響くことしたくないですし。

行政関係者は、何も悪くなくても叩かれる存在です。だって、叩きやすいんですもの。行政側が一般市民に反撃することなんて出来ないので、言いたい放題フルボッコ出来る訳で。しかも、「行政が悪い!」とか何とか言っておけば、何も考えていなくても、一応考えあるっぽく聞こえるでしょ? そう考えれば、彼等が引きこもりサイドにとって都合の良いことしか言わない(言えない)のは当然じゃないですか。

ノイジーマイノリティ(ウルサイだけの少数派)って、自分達の主張ばかりで、相手の立場考えないで物言うので、実は一番面倒臭い。面倒なのには、「嘘ではない程度で、それらしい誠実なこと」言って静まって貰うに限る。

普通に考えたら、その事情は大方ココでも同じことじゃないんですかね?

 

>3:高齢引きこもり達がキレました。

例えば、私がボロいミニバンに荷物積んで旅行してる最中、誰も入らないような山に入って、途中でガス欠起こしたとするじゃないですか。先のこと見越してガソリン入れるの忘れてて、後で気付いたけど、時既に遅し。車は全然動かないし、誰一人として通りがからない。携帯も圏外で、JAFも期待出来ない。参ったなあ、とか思うわけですよ。

と、そこへ一台の車が通り掛かる。大型のハイエースでね、どこかで工事でもあったのか、作業員の人達が大量の機材や大きな工程表と一緒に、疲れた顔して乗ってます。

でも、運転手さんが気付いて止まってくれて、

「どうした、あんちゃん。パンクか?」

なんてね。もう、地獄に仏です。

で、私がガス欠起こしたこと伝えると、

「なら、こっちのを少し分けてやろう。会社のもんだが、困ったときはお互い様ってな(笑)。俺からも、会社には話しといてやるから」

と、ありがたいことに、わざわざ給油口から燃料を抜き取ってくれるというのです。やれやれ、助かった。これで帰れる。ほっと安堵の息。

ところが、ここで気付く訳です。自分の車はガソリン車、ガソリンで動く。相手はディーゼル車、軽油で動く。ガソリン車は、軽油では走らない。

「おっと、こりゃ参ったなあ……」

運転手のおじさんも、ホース片手に困惑顔です。ですが、ハイエースも人と機材で一杯で、私が乗る余地はありません。

という設定で、私の次に来る発言は何でしょう?

一つ目が、

A:「結果は残念ですが、ご配慮頂き、ありがとうございます。では、大変恐縮ですが、町に降りた際に、私のことを町の誰かにお伝え頂けないでしょうか? 最終的には、JAFの方に助けて貰いますが、それまで私はここで待っております。あくまで自分のしでかしたことです。自分で責任を取りますので」

二つ目が、

B:「ああん? 軽油じゃ走んねえだろ、バカかてめえ! 俺は苦しいんだ、今すぐ俺を助けろ! 丁度良い、てめえらの機材と工程表ここに置いて、俺をその車に乗せろ! 大体よ、今の俺がこんなところで立ち往生してんのは、てめえらがディーゼルなんか乗ってるからだろ。てめえらが悪い!」

言いたいこと分かりましたか? 何も考えずAを選ぶのが、「普通の社会人」。Bを選んでいるのが、今回の記事で言う「キレてる引きこもり」です。

「私」=「引きこもり当事者」

「運転手のおじさん」=「国・自治体職員の引きこもり担当のお役人の方々」

と言えば分かりますかね? 分かりやすくするために、もう一回書きましょうか。

 

例えば、私(引きこもり)がボロいミニバンに荷物積んで旅行(後先のトラブル考えないその場限りの生活)してる最中、誰も入らないような山(普通の人が通らない引きこもりという生き方)に入って、途中でガス欠起こした(金欠で身動き取れなくなった)とするじゃないですか。先のこと見越してガソリン入れるの(将来のための貯蓄することを)忘れてて、後で気付いたけど、時既に遅し(手遅れ)。車は全然動かない(外に出られない)し、誰一人として通りがからない(知り合いとも疎遠になる)。携帯も圏外(社会がどうなってるのか不明)で、JAF(親)も期待出来ない。参ったなあ、とか思うわけですよ。

と、そこへ一台の車が通り掛かる。大型のハイエース(国・地方自治体)でね、どこかで工事(仕事)でもあったのか、作業員の人達(国・自治体の職員の方々)が大量の機材や大きな工程表(課せられた業務)と一緒に、疲れた顔して乗ってます。

でも、運転手さん(引きこもり担当の方)が気付いて止まってくれて、

「どうした、あんちゃん(引きこもり)。パンク(人生詰んだの)か?」

なんてね。もう、地獄(自室)に仏(希望)です。

で、私がガス欠(キャッシュ切れ)起こしたこと伝えると、

「なら、こっちの(税金)を少し分けてやろう。会社(国民)のもんだが、困ったときはお互い様ってな(笑)。俺(引きこもり担当公務員)からも、会社(国民)には話しといてやるから」

と、ありがたいことにわざわざ給油口(一般会計予算)から燃料(税金)を抜き取って(配分して)くれるというのです。やれやれ、助かった。これで(社会に)帰れる。ほっと安堵の息。

ところが、ここで気付く訳です。自分の車はガソリン車(福祉的援助必要)、ガソリンで動く(福祉的援助がないと動けない)。相手はディーゼル車(就労支援準備)、軽油で動く(就労支援薦めてくる)。ガソリン車は、軽油では走らない(福祉必要なのに、就労を薦めてくる)。

「おっと、こりゃ参った(ニーズが合ってなかった)なあ……」

運転手のおじさんもホース片手に(支援窓口で)困惑顔です。ですが、ハイエース(国・地方自治体)も人と機材(他の行政事務)で一杯で、私が乗る(引きこもりの問題をねじ込む)余地はありません。

という設定(状況)で、私(引きこもり)の次に来る発言は何でしょう?

一つ目が、

A:「結果は残念(ニーズにギャップがあったの)ですが、ご配慮頂き、ありがとうございます。では、大変恐縮ですが、町に降りた(次の会議の)際に、私のこと(引きこもりの現状)を町の誰か(一般の人々)にお伝え(問題提起して)頂けないでしょうか? 最終的には、JAFの方(親)に助けて貰いますが、それまで私はここで待っており(自分でなんとかしようと思い)ます。あくまで自分のしでかした(いつまでも引きこもっている)ことです。自分で責任を取りますので」

二つ目が、

B:「ああん? 軽油(就労支援)じゃ走んねえ(脱ヒキ出来ない)だろ、バカかてめえ! 俺は(引きこもりで)苦しいんだ! 今すぐ俺を助けろ! 丁度良い、てめえらの機材と工程表(他の行政事務)ここに置いて(二の次にして)、俺をその車に乗せろ(引きこもりの問題を優先しろ)! 大体よ、今の俺がこんなところで立ち往生してん(引きこもってる)のは、てめえらがディーゼルなんか乗ってる(就労支援なんかしてる)からだろ。てめえらが悪い!」

とまあ、こんな感じ。違い、分かりますかね?

当事者側は「俺達はそんなこと言ってない!」とか言うかも知れませんが、記事みたいな主張してると、普通の人達の目にはこんな風に映るんですよ。気分悪いでしょ? 関係している行政関係者の方なら、ストレートにガチ切れしても普通じゃないですかね?

施しを受ける側はね、施しの多寡や内容を身勝手に評価するもんじゃない。批判なんて、もっての外。施しそのものにまずは感謝すべきであり、感謝の念の表明こそ、最初にするべきことです。要望があるなら、その後で丁寧に頼めば良い。

文面にも、

>ほとんどのひきこもりの支援が「就労」前提の支援ばかり、行政は上から目線の支援ありき

>情報も少ないし・ハードルも高い。当事者の意向なんて、ほとんど、無視。言うても、無駄の“空気”もあるから、当事者から、拒否されて当然です

>などと批判した。

とありますが、中年になっても平気な顔してこんなこと言ってる人達だから、いつまでも引きこもりなんじゃないんですかね?

「あの野郎、肉欲しがってる俺に、上から目線で野菜投げやがった! 許せねえ!!」

「俺は酒が飲みてえのに、水なんて寄越しやがった。要求しても無視するしよ! 言っても無駄だ! 俺が拒否すんのも当然だろうが!!」

なんてこと言われて、誰が次の施しを考えますかね? まともな人だったら、アホ臭くってやってられませんよ。それでも動いてくれているのは、彼等が全体の奉仕者である公務員だからであって、それが義務だからです。縛りの中で、体にも限界がある中で、無理を承知でやることをやってくれているのです。

で、確認しましょうか? 引きこもりと公務員の方と、一体どっちが「上から目線」なんでしょうかね?

自分達で勝手に下に落ちておきながら、普通の人達の視点を「上から目線」などと吠えるのは、お門違いでしょう。それが嫌なら、自分らで普通のレベルに上がるのが筋です。そうすれば、「上から目線」だなんて感じもしないでしょうに。自分が下に下がってるから、普通の人が上に見えるんです。原因は行政関係者ではなく、引きこもり当事者側にあるんですよ。

施す側も人間です。お金を出すのは納税者。納税者のお金の使い道を決定するのが政治家。政治家の決定を実行化するのがお役人。皆人間です。義務だから、引きこもりがおかしな主張していても黙っているかも知れないけど、きちんと皆感情があるんですよ。

それを無視して、自分達の要望ばかり突き通そうとしているから、引きこもりは嫌われる。特に、長期で高齢で社会経験に乏しいのは。ものを頼むならね、まずは最初に「ありがとうございます」から始めなさいな。その次に「でも、今必要なのは〇〇で・・・・・・」と続ければ良いのですから。

仮に引きこもりで社会経験に乏しく、こういったマナーが分かってないとするなら、今ここで学びなさいな。いい歳なのに、義務も果たさず「上から目線」なんて言ってキレてると見苦しいですよ。当たり前のことじゃないんですかね? それとも、長期引きこもりの間では、行政関係者はどんなにぶん殴っても良いっていう、不文律でもあるんですかね?

 

>4:自治体や国は、高齢の引きこもりにもっと寄り沿うべきであり、

こういった厚かましさが、良い意味での福祉国家観を破壊していることに気付かないんでしょうか?

「資本主義だけではダメ。貧富の格差激しいし、恐慌は怖いでしょ? でも、社会主義だけでもダメ。弱者保護はスローガン的には良いけど、効率悪いし、優秀な人が伸びないから。なら、上手くバランス取りましょうよ、お互いの良いところをくっつけて」

という発想でできた今の先進工業国の修正資本主義的行政システムですが、ここに来て、「出来もしない理想論ばかり述べる、つけ上がった自称弱者とその賛同者達」が重荷になってきた訳です。

社会主義の場合、つけ上がれば目立ちますし、目立てばシベリアダッシュ&強制労働の「フルコンボだドン!」で社会問題にはならなかったのでしょう。関係者は強制労働の途中で死亡しますから。正に、オソロシアならぬ、オソ連邦なわけで。

が、今の日本ではそんなこと出来ません。「弱者は守られなくてはならない」という、先進国共通のありがたい政治ドクトリンがあるからです。しかし、それに目をつけた自称弱者達は、

「自分は弱者だ! 言うこと聞けや! 言うこと聞かないと、ポリティカル・コレクトネス的に社会的制裁加えてやるぞゴルァ!」

と、より一層つけ上がり、つけ上がりに歯止めが掛からなくなる。引きこもりも同じ。

「べき」論かざすのは自由ですが、それは義務を果たし、他者のために身を粉にしている人達にこそ許されるものであり、何もしていない者が勘違いして振りかざすものではない。違いますかね?

 

>5:「仕事しろ仕事しろ」ではなく、「大丈夫だよ。守ってあげるよ」という福祉的視点を持て。

今更そんなこと言わんでも、10年以上前から、長期高齢当事者とその周辺では、生活保護も含めた「引きこもりの福祉化」を声高に唱えていましたよ。まだ言い足りないのでしょうかね? それとも、まだ達成出来ていないので、駄目押ししようとしているのでしょうかね?

と言うか、そもそも「引きこもりの福祉化」は、彼等の最終目標です。引きこもりの課題が福祉問題化すれば、

1:当事者は働かなくて済むので万々歳。

2:親も、家庭内の面倒事が減るので万々歳

3:支援側(福祉関係者)は、自分達の守備領域が広がるので万々歳

正に、「引きこもり問題三方良し!」。三方良しと来りゃ、近江商人も真っ青な商売繁盛の基盤を押さえておりますなあ。

「売り手良し 買い手良し 世間良し」

ならぬ、

「ヒキって良し 放置して良し 保護して良し」

でしょうかね。一点だけ違うとするなら、近江商人は、社会一般で普通に仕事をしている人達をバックアップしますので、国の経済を好転させますが、引きこもりは、社会一般で普通に仕事をしている人達に租税負担を押しつけるので、国の経済を停滞させますな。引きこもり一人に月10万かかるとして、60万人で月額600億円! 年間1兆2000億円! ドヤア!!

どのみち未来の無い者に月10万払うなら、小さい子供のいる子育て世代に月1万出した方が良くないですかね? それとも、こういった発想は少数派なのでしょうかね?

とまあ、昔からおかしいと思ってたんですよ。引きこもりの問題は、最終的に就労に繋げないことには、一般の人々の負担だけがドンドン増加して、歯止めが効かなくなる。それなのに、長期当事者の周辺では、そんな話はほとんど出てこない。それどころか、「就労は目標ではない」「もっともっと当事者の側に社会が合わせて」「福祉としてのあり方が重要」的な話が幅を効かせている。これは何故なのか?

理由は単純ですよ。福祉化した方が、関係者全員が楽なんですもの。そりゃそうなるわな。私が当事者でもそうしますよ、楽だし。親だとしてもそうしますよ、楽だし。支援者側でもそうしますよ、楽だし。

「仕事しようと頑張ったんだけど、ダメだったんだ。だから、福祉でお金出してね、僕が死ぬまで。無論、お金は皆が出してね。まあ、僕は死ぬまで出さないけどね」

これが彼等の最終的な狙いです。

特定の流れが固まっているときは、何らかの利害関係者がいて、利害が全て同じ方向を向いてるってことでしょう。今回は、それが「引きこもりの福祉化」だっただけのことでね。

因みに、

>しかも、記事には、<自治体の中には経済負担を削減するため、約3割が「手当」として対象者に金銭を給付していることも判明>と記されていた。

>「判明」という表現は、まるで対象者への手当の給付が問題であるかのようにも受け取れる。

の部分ですが、問題ある部分はきちんとありますよ。何かって? 水増し請求ですよ。これは私も現場で見ましたし、水増しに協力するようにまで言われましたもの。断ると怖そうですが、違法行為も出来ないので、自費で寄付したこともありましたっけか。今も変わってないなら、かなり長期間常態化しているはず。

現場のボランティアの人でも、おかしいと思っている人達チョイチョイいたんですけどね。随分昔にも、現場からリークがあって、この話を別のところでしたら、古参の長期高齢引きこもりから、

「裏切り者は誰だ!」

ってな具合になって、彼はボランティアを辞めさせられたそうで。怖いねえ。会社の不正を訴えたら、退職に追い込まれた従業員みたいです。

行政側の方は、お金出すならこの辺きちんとチェックした方がいいですよ。末端は結構適当です。「弱者=清く正しい」なんていう社会主義的嘘は、ソ連が潰れて、中国が事実上資本主義化して20年以上経ってる訳ですし、朝日新聞他左派系新聞社や言論人からも嘘が頻発している今、流石に皆見抜いているでしょうし、丁度良いタイミングじゃないでしょうか。

「引きこもり=心優しい」なんて、分かりやすい嘘ですよ。もっともらしい「弱者聖人説」で、昭和から平成に至るまでに、同じ論法で何度バグったことか。そろそろ元号も変わる訳ですし、毒にしかならん嘘は捨ててしまって良いんじゃないでしょうかね。

 

分かりやすくまとめると、今の長期高齢引きこもりの周辺は、当事者が「仕事して自立して」なんて高度なことはほぼ誰も考えていなくて、いかにして社会全体に上手く寄生するか、その方法論しか考えていないってことです。親が高齢で寄生出来なくなったんで、次は社会全体に薄く広く、バレにくいように寄生しようとしている訳ですな。「ステルス寄生」とでも言えましょうか。

長期の当事者を見ていれば、「自立なんてどうせ無理」ってことは、現場の人ほど良く理解していますし、当事者本人もそう。だから、「福祉化」とか何とかでそれらしいことを言って、長期的にお金を引っ張ろうとしているわけで。

賢い戦略ではありますよ、長期高齢当事者の周辺で発生している手法は。もっとも、他者(社会や行政)を悪者に設定してお金を引き出そうとしているあたり、韓国や北朝鮮の慰安婦問題なんかと何も変わらん訳ですが。まあ、被害者ビジネスです。

結局割を食うのは、普通に仕事をしている一般の人達ってだけで、産経新聞の記者の人は、それを言いたかっただけでしょうな。普通の人の普通の意見ですよ。それをおかしいと感じるなら、単に当事者サイドの思考が歪んでいるだけだと感じますが、違いますかね?

もっとも、

>生活保護を受け取れるようになることは、ひきこもりにとって自立の一つのかたちではないのか

みたいな話をする人達なら、何言っても無駄かも知れませんが。初めから、寄生が狙いだと宣言してしまってますし。(まあ、こう話すと、またどこかから「生活保護は寄生なのかブルああああ!」みたいな残念な人達が湧くので、やめておきましょうか。)

最後に、家族会のスタッフの話として、

>「実際は希望していても行けないのに、必要性がないかのように憶測で書かれている。たとえ拒否感があったとしても、まず必要性を理解してもらうことが専門家の仕事。拒絶する人の気持ちも十分に理解したうえで、どう受け入れてもらえる場をつくり出すかのほうが先決ではないか」と憤る。

とありますが、新聞への批判はまだ良いにしても、何でもかんでも行政行政行政行政と、子供じゃあるまいに、行政関係者が無敵だとでも思ってるんですかね? 人間ですぜ、彼等だって。有能かも知れませんが、万能ではないのです。人員にだって限りがあるし、予算だって決まってる。最近は非正規スタッフだって多くて、その中でやりくりしてるのに、「憤る」ってのはいかがなものかと思うのですがね。

また、筆者の方の意見として、

>事業の制度設計や支援の姿勢、方法に、何かしらの課題があるとみるのが、断念の理由から導き出せる結論であり、「生活保護への移行」や「社会保障費の増大」への懸念ではない。だから、この記事は破たんしているのだ。

とありますが、別段破綻なんてしてないですよ。寧ろ、姿勢は一貫している位でしょう。

引きこもり支援が上手くいかないのは、そこに行政上の課題があるからというよりは、寧ろ現実問題として制度設計も支援の姿勢も人員と予算の関係で限界があり、「どのみち頑張っても不可能なだけ」なんですよ。特に長期高齢当事者なんていう最もメンドウな人達に、どんだけの予算と人手が必要になるのか考えてみれば分かるでしょう? 客観的に見れば、「どう頑張っても無理」って現状があるだけです。チョロッと話して改善するならまだ良いですが、そんなチョロい話でないこと位、実際に見れば理解は容易です。

逆に言えば、分かっているからこそ、「福祉福祉」と言いたくなるんでしょう。だったら、素直に言えば良いんですよ。

「長期高齢引きこもりはもう手遅れです。社会復帰無理なので、国民の皆さん、ご迷惑かも知れませんが、彼等のために浄財をお願い致します」

と。これなら、まだすっきりしてて気持ち良いです。「福祉」というワードでカモフラージュを仕掛けて、結局「寄生」を狙うなんて、詐欺みたなものじゃないですか。

記事全体から、

「行政の怠慢と努力不足、そして産経のトバシを糾弾する!」

的な方向性に話題を持っていっていますが、彼等のミステイクは、

「行政が無敵だと勘違いしていること」

「産経は、引きこもり当事者と支援現場の要求を述べているのではなく、今の当事者と支援体制に対する社会一般からの風当たりの強さを述べている」

という二点に、全くもって考えが至ってない点にあります。行政は完璧でも超人でもなく、あくまで普通よりちょっと優秀な人達の集合体なだけです。評価されれば嬉しいし、無遠慮に叩かれれば不愉快にもなります。産経は記事をトバしているのではなく、寧ろ今の支援者や当事者側の傲慢、身勝手、理不尽、無責任を見抜いて、それを記事にしているだけです。当事者側も支援側も好き勝手なこと言ってるから、「あんたらいい加減にしたら?」ってことを、オブラートに包んで言ってくれてるだけです。

過ちを正そうとしてくれているのですから、感謝する位がスジなんじゃないでしょうかね?

最近は左派系政治家によく見られる傾向ですが、他者を批判するのが好きな人は、どういう訳か自分が批判されることを嫌いますよね。自分達のミスは棚に上げて、相手だけを叩くっていうアレね。

長期高齢引きこもりの周辺も、そろそろ自分達の過ちを一度は省みてみても良いのではないでしょうか。

「何故長期化するのか?」 ⇒ 「そもそも、社会に対する姿勢がおかしいから」

とか、少しくらい考えんのでしょうか?

長期高齢当事者とその周辺の人々は、今回のリンク先の記事を読んだ普通の一般の人々がどのように感じるのか、客観的に考えてみることを個人的にお勧めしますね。でないと、「引きこもりの福祉化」という名の、

「社会一般に多大な負担を押しつけるけど、自分達だけが幸せになれる崇高にして偉大なる最終目標」

が、あっさりと潰れてしまうかも知れませんよ? ソ連が潰れたみたいにね。

引きこもり高齢化に思うこと

ひきこもり高齢化 「親と死ぬ」…相続問題も

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171127-00000046-san-soci

http://www.sankei.com/life/news/171127/lif1711270004-n1.html

ひきこもり就労支援、自治体の半数超が断念 「新しい環境に拒否感」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171127-00000047-san-soci&pos=2

http://www.sankei.com/life/news/171127/lif1711270003-n1.html

珍しくもなくなりましたが、引きこもりの高齢化とかの話題です。今でもたまにニュースになっていますが、この手のニュースを見る度に、結局、長期引きこもりはほとんど改善しないという事実を見せつけられてる気がしますね。部分的に変化する人もいるにはいますが、本当に少数派です。

 

それにしても、こういったニュースはこれ以上出さなくて良いと思うんですよ。「引きこもり長期化! 高齢化!」なんて言っても、中年以上の引きこもりへの有効策なんて、そもそもとっくの昔に消えています。第一、記事にもある通り、本人達が自立することをほとんど望んでいない。周囲も、本気で何とかなるなんて思ってない。適当に流しているうちに問題が大きくなりすぎて、気がついたときには手に負えなくなってしまっただけのことで、大犯罪を犯した訳でも何でもありませんが、「微罪を重ねすぎて無期懲役」みたいな状態です。

となると、他者を害することなく静かに死ぬのが、長期高齢引きこもり最良の終焉だと思うのですが、そこんとこどうなんでしょう? 無論、社会に貢献していないなら、生活保護だの何だの騒がずに、親の遺産の範囲内で黙って死ぬのがマナーで。

因みにこの「黙って死ぬ」って考え、案外長期高齢当事者には受けが良いです。「変に引っかき回して、自分達をニュースのネタにしないで欲しい」って考えは、私も良く分かります。黙って死なせてあげるのも、優しさだと思うんですがね。

 

そう言えば、昔「長期引きこもりは、正直どうにもならんよ」なんてコラムを挙げたために、サイトが大炎上しまして、

「適当なこと言いやがって、ぶっ殺す」

とか、

「思いやりの欠片もないやつだ」

とか、

「本当に辛い人達のことを考えたら、こんなこと言えないはず」

等々、「???」な反応をいくつも頂きましたが、あの人達、今頃どうしているのでしょう。 知り合いの支援者の方からの話から推察するに、長期高齢当事者達とその関係者達だけが激怒気味だったようですが、五年近く経過して、結局彼等は自立したんでしょうか? 又聞きした数名については、男女問わず全員そのまま残っているそうですので、多分ほとんどがそのままな気がします。

賢い人が早々に抜けて、ダメな人だけ残るのが、引きこもり業界の「当たり前」です。最後の残留組を弄くるの、もうやめにしましょうよ。意味ないです、マジで。

今も昔も変わりませんが、基本、長期引きこもりで30代入ると、周囲の余裕が無くなるので、まともな改善策に乗れる人はほとんどいなくなります。「アルバイト出来るだけで完璧」ってのが正直なところで、40代は、ほぼほぼ切り捨て対象です。

20代のうちに頑張って欲しいというのは、別にいい加減な話でも、嫌みったらしい話でも何でもなく、寧ろ誠実なアドバイスだと思うのですが、彼らにはそれが理解出来なかったのかも知れません。

 

話題変わりますが、現在の長期高齢当事者をまとめて一定数作った(量産した)人達って、実はきちんと存在しているのですが、コレ、あまり知られていないことなのでしょうか? 少々政治ネタが絡むので、あまり表に出さないようにしていたのですが、何かの参考になるかも知れませんし、折角ですからここで説明しとくようにしましょう。(タイミングは未定ですが。)

もっとも、これでまた炎上なんてなると、私の薄い髪が更に薄くなりますので、控えめに書いておきます。

 

大月市郷土資料館はちょっと面白い

行って参りました、紅葉狩り。既にちょっと散り気味でしたが、まだまだ十分綺麗でしたね。行き先は、大月市猿橋。日本三大奇橋の「猿橋」をラフティングしながら見てみよう、というのが趣旨です。

ラフティングのガイドさんは鈴木さんという方で、大月市の地域おこし協力隊に参加されているとのこと。協力隊参加希望者ながら、仕事で微動だに出来ない私を尻目に、協力隊の面白さを色々と語って下さいました。羨ましいことです・・・・・・。

鈴木さんの何が凄いって、狩猟免許から船舶免許まで、アウトドアで面白そうな資格は、ほとんど全て揃えている点です。私も、狩猟免許は今年春に挑戦しようとしたのですが、試験が平日しかなくて断念。仕方が無いので、「山賊ダイアリー」を読んで、心だけは猟師と一体化して茶を濁すという、何とも惨めな狩猟民族に落ちぶれておりました。

そこへ、

「鹿の解体? 自由に体験出来るよ?」

「猟友会のお爺さん達も紹介出来るよ?」

「綺麗な渓流の沢登りガイドも出来るよ?」

なんて言われたら、そりゃあなた羨ましい妬ましい許すまじ・・・・・・。アイコス君に至っては、紅葉よりも、鈴木さんの経歴と能力の方ばかり目が行ってましたからね。何しに行ったのか分からん位です。

やはり、現場で実地で動くことは重要ですなあ・・・・・・。早く東京脱出したいですよ、ホント。

で、ラフティング体験した人は、郷土資料館を無料で見学出来るとのことで、こちらも行って参りました。元々の計画には入っていなかったのですが、ガイドさんが説明しながら飛び跳ねるエキセントリックな方(実は館長さんだったというオチ付き。)で面白かったため、ついつい入ってしまったのですが、これが個人的にはドンピシャでしたね。

元々、特急の車窓から見える岩殿城が、地理的に躑躅ヶ崎館側の武田氏のものなのか、小田原城・八王子城側の北条氏のものなのか、何となく気になっていたため、その辺の事情を説明されると、面白さが倍加します。やはり、面白さは事前知識に依存しますなあ。コンサートも、知らない曲だと眠くなりがちですが、知ってる曲だと、集中出来ます。

そう言えば、大月周辺は、谷間に集落が展開されているせいか、稲作の時代がない(要は、弥生時代っぽいものがない)というお話も興味深かったですね。縄文時代から、そのまま平安時代に進んだような形だとか。一般住居としての竪穴式住居は、平安時代ならどこの場所でもまだ広く分布していたと記憶していますが、生活環境自体が縄文のままというのは珍しそうです。

来年度から、中学クラスの国語は、国語だけでなく、幅広く社会その他の科目も包括的に取り入れる形を予定していますが、社会科見学の一環として、この地域はアリな気がします。教育課程も変化しつつありますが、不登校や引きこもり経験者の場合、どうしても視野が狭くなりがちですので、授業の幅を拡張する手掛かりになると良いですね。

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