不登校・引きこもりからの大学進学塾

不登校・引きこもりと年齢限界について

前回の話ではありませんが、8月下旬から学校関係で路頭に迷う子もいるそうです。世間では自殺防止をメインに語られているそうですので、CARPE・FIDEMでは少し趣向を変えて、現実案に関する話題を提示しておきたいと思います。

以下は、不登校・引きこもり関係者が、各年齢毎に出来る限界ラインを分かりやすく示したものです。現状で不登校や引きこもりの状況下にある人は、以下を参考にして自身のライフプランの参考にして下さい。

■15歳以下(中学3年生以下)のライン■

○どのように生活していようと問題無し。他人と差が付くことはあるが、人生のその後に関して気にする必要の無いライン。

○多少勉強しておいた方が楽ではあるものの、基本的には「どうぞご自由に」。

■16歳(高校1年生)のライン■

○基礎学力ゼロの人が、東大・医学部等の上位国公立大・学部に現役で入ることの出来る最終ライン。分かりやすく言えば、所謂「高学歴層」に、無勉強の子が現役で入れる最終ライン。

■17歳(高校2年生)のライン■

○基礎学力ゼロの人が、地方国公立やMARCHレベルの私大に現役で入ることの出来る最終ライン。無理をすれば、早慶の科目の少ない学部や上智・理科大も可能。

○中学生範囲の基礎学力を有する子が、東大・医学部等の上位国公立大・学部に現役で入ることの出来る最終ライン。

■18歳(高校3年生)のライン■

○基礎学力ゼロの人が、日東駒専レベルの私大に現役で入ることの出来る最終ライン。

○中学生範囲の基礎学力を有する子が、地方国公立やMARCHレベルの私大に現役で入ることの出来る最終ライン。

■20歳(大学2年生)のライン■

○文系学部進学(入学)事実上のタイムリミット。これ以降で文系学部進学する場合には、就職に大きな影響が出る、或いは、就職後に問題が発生する。進学する場合には、就活先が数段階落ちるか、或いは起業することを前提に活動した方が良い。

○不登校・引きこもり経験者が、これ以降の年齢で文系学部進学する場合、資格取得を除いてほとんど意味が無い。

■22歳(大学4年生)のライン■

○理工系学部進学(入学)事実上のタイムリミット。理工系は年齢上の制限が文系学部より緩いものの、これ以上の遅延はお薦めしにくい。

○これ以上の年齢の場合には、医歯薬獣看等の医療系学部、或いは工学部建築学科等の有効性の高い国家資格前提の学部へ。

■25歳(社会人3年目)のライン■

○医学部等を目指す場合、頭の回転速度等で現役生との差を感じ始めるライン。再受験などの場合は、元が高学歴層であっても、学習期間が延びることを視野にいれるべき。

○また、親の加齢と共に進学が難しくなり始め、一部家庭では進学という選択肢自体が消滅する。

■30歳(社会人8年目)のライン■

○一般家庭において、事実上進学という選択肢が消滅するライン。これ以降で進学出来る場合は、実家が一定以上の富裕層か、本人が高い学力を有するか、或いは本人に社会人経験があって十分な貯蓄が有る場合のみ。

○また、公的機関への就職の一般的限界ライン。

○現実的には、このラインをもって所得水準でミドルクラス以上への上昇はほぼ不可能となる。(親族関係企業へのコネ入社を除き、実例が乏しい。)

■35歳(社会人13年目)のライン■

○ある程度の社会人経験があっても、就職が困難になるライン。10年以上の長期化した引きこもりの場合、アルバイトでの採用も難しくなる。

○また、教育におけるキャリアアップがほぼ不可能となり、この段階での能力値で社会に出ることが、大筋確定的になる。

○大体の引きこもり当事者は、単純労働以外に生計を立てる術が無くなり、社会保障の乏しいワーキングプア化がほぼ確定化する。

■40歳(社会人18年目)のライン■

○両親のうち、どちらかの「死」が発生し始めるライン。状況によっては、経済的に困窮することも多く、親の介護問題等も同時に発生して身動きが取れなくなる。

○基本的に「成長」の可能性が完全に消滅するため、アルバイトで採用されれば大成功。下手にそれ以上は望まない方が無難。

○介護保険の保険料が発生。

■50歳(社会人28年目)のライン■

○所謂8050世代という、引きこもり最悪のパターンを集約した実質的最前線世代。

○ここより上は隠蔽体質が根強くデータが集めにくいが、過去の事例から見るに、今後年金の詐取や生活保護の不正受給、傷害事件等が増えると推察され、既にそれらしい事例が複数発生している。

○「引きこもりの居場所」スタッフや、公的機関の福祉関連部署担当者によれば、当事者本人の能力値が低すぎて、問題が発生しても事実上対処が不可能なケースも多く、既に福祉でのカバーも困難となりつつある。

○親族関係者(主に兄弟姉妹間)への悪影響(誰が引きこもりの面倒を見るのか?)が決定的となるため、引きこもり当事者のいる家庭からの離縁問題が発生しつつある。

 

実際に見て貰うと分かりますが、不登校・引きこもり経験者の場合、成長のチャンスはほぼ20代に集約され、それ以降での成長のチャンスはほぼありません。会社組織に所属し、その内部での成長が継続的に可能である一般社会人に対し、30過ぎの引きこもり当事者は、成長可能性を提供してくれる組織へ参加することが困難になるためです。

既に長期高齢引きこもりの「失敗」は確定しており、同じ行為を続けることの無意味さははっきりしています。

10~20代 通常の社会参画が可能な「成長の年代」

30~40代 社会のボトム層に追いやられてしまう「ジリ貧の年代」

50代以降 社会一般への迷惑・厄介が決定的となる「犯罪者化の年代」

と心得、極力早めの対策を心掛けましょう。

一連の「学校行かなくて良い」ムーブメントは、何かおかしくないか?

良い議論がなされておりましたので、紹介を。

「学校は行くのは当たり前なのか?不登校になったら何をすればいいのか?小籔千豊らが激論」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180823-00010002-abema-soci

https://abematimes.com/posts/4775841

CARPE・FIDEMは不登校や引きこもり経験者向けの塾なので、本来なら、

「つらかったら学校なんて行かなくて良い」

と主張する側に立つべきなのでしょうが、私自身はあまりそうは思っていません。確かに、行くことで「死」が確実に迫ってくるなら行かないで良いと思いますが、そうでないなら「とりあえず行ったら?」の立場です。

叩かれる話題なので押さえて話しますが、結局のところ引きこもりとは、ただの「有能無能問題」だった訳で、社会に適合しやすい有能力者ほど短期間で解決し、適合出来ない無能力者ほど長期間引きこもる現実が強固に存在しています。これは、現行の「8050世代」の当事者を実際に見てみればすぐに分かる話であり、難しい話題でも何でもありません。

ただ、無能力者でも訓練で有能になることは十分に可能で、無能力自体を叩く必要はありません。無能力が害悪なのではなく、「無能力のままでい続けたことが害悪」なのです。しかし、有能になるチャンスは若年期にしかないため、高齢化した引きこもりは結局社会の害悪にしかならない。これが、長期高齢引きこもりの最大の課題となっています。

となると、不登校も不登校で構わないのですが、未来の無能力者を量産するような不登校、つまり、「不登校のまま何ら対策をしないまま放置する行為」は、社会にとっても本人にとっても家族にとっても確実に害悪となるため、その点はきちんとしないといけません。無論、判断は不登校の子本人の意志でもありますが、同時に親御さんや、フリースクール等の支援側運営主体の責任でもあります。

「ローマ人の物語」で有名な塩野七生さんが書いていらした話です。何故か理由は分かりませんが、イタリアの教育現場でも、エリート層程、青少年期に厳しい教育を受け、逆に底辺層ほど「自由」だとか「主体性」等をウリにした緩い教育を受けるそうです。一見すると、「自由や主体性」というお題目は素晴らしく見えますが、実際に蓋を開けてみると、成人した後の後者はほとんど使い物にならず、前者だけが成果を上げていく。つまるところ、若年期の「自由と主体性」は案外価値を持たない。

若年期の「自由と主体性」を生かせるのは、一流校在籍者に多く、底辺校ほど少ないことが経験則的に分かっています。上位校の学生は賢いため、勉強程度はそこそこに済ませ、能力を活かした次のステップに進むことが出来る一方、逆の場合は勉強さえもままならないため、+αもへったくれもない。それ故、上位校ほど自由や主体性をウリにした校風になり、底辺校ほど、体育会系教師が幅をきかせる、監獄的な組織になります。もっとも、監獄化させないと、「動物園」になってしまうという深刻な事情もあるわけですが。

そのような現実がある中で、私個人としては、不登校向けのフリースクールが、どうにも、

「行きたくなかったら行かなくて良いんだよ」

「君が動きたいと思うときだけ動けば良いんだよ」

的な傾向を持っていることに違和感を感じています。実際、死の淵に立たされたような場合はそれでも良いと思いますが、今の不登校ってそこまでギリギリのケースは少ないんですよ、昔と違って。以前書いた、マイルド不登校の話題ですけど。「来たいときだけ来れば良い」で育てられた人間が、本当にその後使い物になるのか、個人的には懐疑的です。監獄のようにガチガチに縛る必要性はどこにもありませんが、日々の小さな我慢を蔑ろにする人間が、本当にまともに生きられるのかと。

二学期が始まる時期は、10代の自殺が増えるそうです。従って、自殺を止める意味での「行かなくて良いんだよ」ムーブメントは、ワンストップ戦略としては優れていると思います。しかし、言いっ放しで放置となれば、これは最終的に家族全体の悲劇を生むだけで、現状での引きこもり手遅れ層の失敗経験が全く活かされないことになってしまいます。

不登校でも良いし、引きこもりでも問題無いのは事実です。しかし、それは各人がそれなりの自立姿勢を鮮明にし、自分なりの生き方を模索して初めて言える話です。「学校に行かなくて良い」と言うなら、その後の方向性も具体的かつ分かりやすく説明するのが、社会の中で子供達に先行する私達の義務ではないかと考えます。

勉強は出来るだけ手を抜いて、しかし成果は確実に。

「手抜き」とは一般的には叩かれる行為かと思いますが、こと勉強については、必ずしも当てはまるわけではありません。ある程度以上の大学になると、自然と学習分量が多くなり、ただ気合いだけで何とかなるものでもないからです。

無論、中途半端な勉強をいい加減にするだけで良いなら、どう学ぼうと勝手ですし、好きにすれば良いと思います。しかし、それなりに意味のある大学や学部に進む場合、学習総量を鑑みれば、勉強の軽重加減を調整することは、それ自体が勉強として意味を持ちます。要点を見抜き、どうでも良い部分を捨て、大切な部分にリソースを割く。言い換えれば、「要を見抜き、他を捨てるという行為」そのものが「学び」になります。

例えば、先日の飲み会の際に来た卒業生のギルマス君なんかは、基本的に勉強は三時間しかしません。と言うか、したがりません。理由は単純。勉強嫌いだから、極力早く終わらせたいだけ。終わったらゲーム。

ただ、彼は医学部医学科の在籍で、成績は非常に良い。勿論、彼自身が賢いのも事実ですが、それ以上に彼は「学び方」が上手い。要点はいくつかあって、

〇一度学んだものは極力忘れないように、復習を効率良く行う。(二度手間は最も非効率)

〇集中出来ないときは、さっさと諦める(「集中力×時間=効率」の論理)

〇勉強しないでも、スコアが取れることが最良。(勉強自体を目的化させない)

等でしょうか。

経験則ですが、例えば、東大や医学部・早慶等の上位層の卒業生には一様はこの傾向があり、勉強を短縮して遊びや休息に利用する時間効率の妙味が生きています。一見すると、「ガリ勉」な真面目君ばかりがいそうな空間で、何故か、

「勉強も出来て彼女もいて、生活も安定して愉しそうなリア充君」

がいるのは、こういう事情があるわけです。寧ろ、ガリ勉は一つ下に見られる位かも知れません。

また、適度な手抜きは、日々の生活に余裕を与えてくれます。特にこれからの季節はそうですが、精神的に余裕が無くなると、まず最初にメンタル面での不調が発生します。それが結果的に学習面での不調や、身体的不調に派生し、気がついたら全ての面で失敗ばかり続くことに繋がります。

逆説的ですが、「極力勉強しない!」という姿勢が、何故か「より良い成績」「より愉快な日常生活」を生み出したりします。真面目であることは大切ですが、真面目とはただの性質であって、真面目自体は目的ではありません。いい加減な集団では別ですが、一定水準以上の群になると、真面目本体の価値は乏しくなります。

今年も、医学部や東大、早慶等難関大学希望者がかなりの数でいますが、進路先に優秀な学生ばかりがいることを考えれば、学習の効率化も自然と大切になってきます。学ぶことは当たり前としても、

「どう学べば、より少ない労力で同じ成果が出せるか?」

についても、是非考えてみて下さい。

人生は机上の勉強ばかりではありません。参加者の子達が、机上以外の学びを自由に経験出来る、本当の意味での優秀な人物になってくれることを期待して。

卒業生イナゴの数は想定以上だったでごわす。

 何かもう、色々と大変でしたね、ハイ。20時過ぎから始まって、終わったのが午前4時。集まった数も、予定の倍近く。こんなことなら、もう少し余裕持って事前準備しておけば良かったですなあ。

 特に、ゴリラ君は今回も冴えてましたね。

E「お、ゴリラ君じゃん! 真っ黒になってんな!」

ゴ「いや~スキューバダイビングの免許取りましたからね~。ハッハッハッハ」

E「大学はどう? 順調?」

ゴ「そりゃもう順調過ぎる位順調ですよ~。そんなことより聞いて下さいよ~。自分の部活に、あり得ない位可愛い留学生の子がいるんすよ~。アンナっていうんですけど、もう本当に一目惚れしちゃって、ライン交換しまくりなんですよ~」

E「ほう。それが今の君の彼女なの?」

ゴ「それが残念ながら! でも、自分ムッチャアピールしたんすよ~。英語苦手だけど、拙い言葉で一生懸命愛を伝えたんすよ~」

E「ほう。どんな風に?」

ゴ「可愛いね~瞳がキレイだね~とか。自分の目を指さしながら、アイズビューティホー! ソービューリホー!」

E「……ゴリラの目潰し攻撃にしか見えんな」

ゴ「でも、もう彼女国に帰っちゃってて……。先輩にも言われたんすよ~『君には情熱が足りない!』って。だから、燃え上がる情熱で、彼女に会いにこれからヨーロッパ周遊ですよ!」

E「君は面白いし、モテるだろうに」

ゴ「いやあ、自分でもそう思ってるですよ~。でも、好きになる子好きになる子、全員彼氏持ちなんですよ~」

E「お目が高いわけだ」

ゴ「そうなんすよ~。自分の審美眼の証なんすよ~。で、ゲスいけど、破局待ちしてたんすよ~。『チクショウ! あの二人、別れないかな!』って」

E「ほう」

ゴ「でも、そういうときに限ってラブラブなんすよ~。流石、自分がセレクトした彼女なだけあって、素敵なカップルです」

E「……言ってることおかしくないか?」

ゴ「いやあ、愛する人の幸せを願ってこそのデキる男ですよ~」

E「おいおい。ワインこぼれる」

ゴ「でも、なんでこんなにデキる男に彼女ができないんでしょうかね~。世の中おかしいですよ、信じられませんよ。」

E「望みが高すぎるんじゃないか?」

ゴ「そんなことないっすよ~。笑顔が素敵な女の子だったらいつだって大歓迎ですよ~」

E「見た目可愛い子が良いって、言ってなかったか? 卒業のときに」

ゴ「チクショウ! 半年前の自分め! 何も分かっていやがらねえ! 顔なんて二の次ですよ! 大切なのはハートですよ! 顔が云々言うヤツは、僕が成敗してやりますよ!」

E「……で、留学生のアンナさんは?」

ゴ「めっちゃ可愛いですよ! あれは天使ですよ! アイズビューティホー! ソービューリホー!」

E「……」

 元気なのは良いことです。

 

頭の良い子にとって、不登校は意味の無い行為だと思う。

例えば小学生のときに、学校の授業を聞かなくても試験は大体満点だった子や、多少親の贔屓目があったにしても、頭の回転が良いと評価された子の場合、大学受験程度の勉強はさっさと終わらせることをお薦めしています。その方が、結局人生楽ですからね。

勉強も貯金と同じで、「貯めてる」子の方が何かと有利なんですな。余裕がないと、気分も暗くなりますし判断も曇りますが、余裕があれば、大体のことは何とかなる。

CARPE・FIDEMには、勉強の得意な子も不得意な子もいますが、高校二年の年齢段階(17歳)で既に大学受験の勉強が全て終わっている子もチラホラいて、イメージ的には、都内の有名国公立・私立進学校と中身は大体同じです。当然のことですが、彼等の生活には余裕がありますし、結果的に人生全般における苦労も減ります。

仮に今知識が乏しく、回転が悪かったにしても、それは改善すれば良い話です。知識もなく、回転も悪いままで放置することは害悪ですが、変えられるものならさっさと変えた方が面倒なことになりません。

今10代の不登校の子は、よく憶えておいて下さい。社会は人のためになる有能な人間には、それなりに微笑みかけてきますが、役に立たない無能な人間には、敵意にも近い厳しさで当たってきます。そしてこれは、加齢と共にその程度が酷くなります。

実際に社会の中で生きている大人をよく観察し、どのような人がどのような人生を送っているのか確認してみて下さい。楽あれば苦あり、苦あれば楽ありの意味が微妙な誤解を伴いながらも、理解出来ることと思います。

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